勝北非人騒動(読み)しょうほくひにんそうどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝北非人騒動」の意味・わかりやすい解説

勝北非人騒動
しょうほくひにんそうどう

1739年(元文4)美作(みまさか)国(岡山県)勝北郡幕領に起きた一揆(いっき)。飢饉(ききん)をきっかけとして、38年末から39年春にかけて中国地方に連続的に発生した闘争の一つ。ある史料は、この一揆の指導者が鳥取藩の因伯(いんぱく)一揆に参加していたとしており、そこでは二つの農民闘争の関連が意識されている。非人騒動は3月2日に発生し、村々の富裕な家に押しかけ、飢えているといい食物を求め、打毀(うちこわし)の強迫を伴いながら米、銀の供出を要求した。3月6日に津山藩兵が発砲して鎮圧するまで一揆は続くが、この間代官所へ訴願することはなく、この期の一揆としては際だった特徴点となっている。事件後、大坂町奉行(ぶぎょう)所は、指導者藤九郎、与三衛門の両名を斬罪(ざんざい)に、ほか24名を追放の刑に処した。なお非人とは、米、銀を押乞(おしごい)する状態をさすのであり、被差別民とは関係はない。

[保坂 智]

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