出谷村(読み)でだにむら

日本歴史地名大系 「出谷村」の解説

出谷村
でだにむら

[現在地名]十津川村大字出谷

十津川の支流上湯かみゆ川流域に立地十津川郷のうち。元禄郷帳に初めて村名がみえる。村高九石。幕府領。安政四年(一八五七)の産物取調帳(十津川宝蔵文書)に杉角尺〆五〇〇本、檜角尺〆七〇本、椴栂松尺〆三〇本、楮一二〇貫、椶櫚皮九千枚、椎茸一〇貫目、茶六〇貫目、蜂蜜一〇貫目、割菜一〇〇貫目、松煙一八〇貫目、炭三〇俵とみえる。

出谷村
でたにむら

[現在地名]北区くもはた出谷町

雲ヶ畑三ヵ村の一つで、最も北に位置する。

享保一四年(一七二九)山城国高八郡村名帳による村高は一八石六斗四升余で、すべて仙洞御料。宝暦七年(一七五七)九月の出谷村絵図(塚本家文書)は村域を「南北七町、東西一五間」と記す。慶応四年(一八六八)三月の家数人数寄書帳(同文書)には三四軒、八四人(男四四人、女四〇人)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報