円行寺村(読み)えんぎようじむら

日本歴史地名大系 「円行寺村」の解説

円行寺村
えんぎようじむら

[現在地名]三原町市円行寺いちえんぎようじ

小井おい村の南東にあり、東部を円行寺川が北流する。福良ふくら街道が南西から北東へ通る。村名は中央部にあった円行寺(円鏡寺)に由来し、同寺は鎌倉時代に栄えたものの室町時代に衰えたといわれる。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文には、三原郡内の国領上田こうだ保のうちに「円鏡寺一所」とみえる。文和二年(一三五三)一〇月一五日、南朝方の法性寺中将らの軍勢賀集かしゆう庄丹山(現南淡町)に陣を布き、同一七日、守護細川氏春らの軍勢と「上田保円鏡寺原」で戦った(同年一〇月日「船越定春軍忠状写」記録御用所本古文書)

円行寺村
えんぎようじむら

[現在地名]高知市円行寺

蓮台れんだい村の東にある山村。村のほぼ中央を周辺の谷川を集めた円行寺谷川が南流し、この谷川に沿って高知城下への円行寺街道が通る。円行寺谷川流域には小盆地が形成され、集落が点在する。土佐郡に属し、「土佐州郡志」は「東西十八町許南北三十町許」「其土赤黒」と記す。応永一四年(一四〇七)一〇月八日付の種崎たねざき頂本ちようほん寺蔵鰐口銘(古文叢)に「円行寺」の名がみえる。

円行寺村
えんぎようじむら

[現在地名]西仙北町円行寺

北は宿しゆく村と接し、周囲山地で囲まれている。

寛永二年(一六二五)の油利之内修理大夫様御知行検地帳免定之目録写によれば、村高二六石余、納米二〇石余とある。

正保三年(一六四六)の岩城但馬守領分出羽国由利郡内高目録(秋田県庁蔵)によれば、高九〇石余、うち田九〇石余、畑二斗余で、田の割合が多い。翌年の出羽一国絵図でも九〇石。元禄一五年(一七〇二)の出羽国由理郡郷村高辻帳では亀田領で、高二〇〇石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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