内教坊(読み)ナイキョウボウ

デジタル大辞泉 「内教坊」の意味・読み・例文・類語

ない‐きょうぼう〔‐ケウバウ〕【内教坊】

奈良平安時代宮中舞姫をおいて女楽踏歌などを教え練習させた所。坊家ぼうけ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「内教坊」の意味・読み・例文・類語

ない‐きょうぼう ‥ケウバウ【内教坊】

〘名〙 古代朝廷で女性に女楽・踏歌(とうか)などを教習させた所。節会内宴などに奉仕した。別当・預(あずかり)および舞を教える師と、これを習う妓女舞妓)などがいた。別当は大・中納言の中の音楽に通じた人が、預は女性が、師はもとの舞姫の中から命じられた。設置年代は明らかでないが、奈良時代後半には、その存在を示す史料がある。
続日本紀‐天平宝字三年(759)正月乙酉「作女楽於舞台、奏内教坊蹋歌於庭」 〔新唐書‐百官志三〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「内教坊」の意味・わかりやすい解説

内教坊 (ないきょうぼう)

雅楽寮の教習科目のうち,女楽や踏歌の教習を担当した所。唐の玄宗蓬萊宮の側に置いたのにならったもの。その成立年次は不明であるが,《続日本紀》宝亀8年(777)5月の典侍(ないしのすけ)飯高諸高の没時の伝に,彼女は,元正朝(715-724)に内教坊に直した,とあり,同書天平宝字3年(759),同7年などに,内教坊が踏歌を奏した記事があるから,おそらく奈良時代初期から存在したのであろう。平安時代に入ると,節会・内宴などに奉仕した。坊を統轄する別当,その下に預(あずかり)および舞を教える師と,それを習う妓女(舞妓ともいう)などがいた。別当は大中納言の中から音楽に堪能な人が選ばれた。預以下は女性で,師はもとの舞妓の中から命じられた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の内教坊の言及

【雅楽寮】より

…なお雅楽大属尾張浄足(平安初期の人か)によれば,日本在来の歌舞には,宮廷に伝来した五節舞などのほか,久米舞(大伴・佐伯両氏),楯臥舞(土師・文両氏)など,氏族の伝承したもの,筑紫諸県舞のごとく地方に伝来したものがあり,外来音楽にも,唐楽などのほかに度羅楽もあったという。しかし師・生ともに時代が下るにつれて縮減の傾向にあり,そのうえ,日本固有の楽は大歌所において,唐楽以下の外来の楽は楽所において,また女楽は内教坊において教習されるようになり,雅楽寮はその実体を失った。雅楽【今江 広道】。…

【教坊】より

…中国の宮廷楽舞および演芸の教習の場をいう。隋の煬帝(ようだい)のとき(610)長安に南北楽人300人を坊に集めたのが先鞭で,唐初の武徳年間(618‐626)まず内教坊が創設され雅楽を教習した。音楽を愛した玄宗の714年(開元2)になると内教坊のほかに左右教坊を長安と洛陽に各2ヵ所設置し,それまで管轄していた礼楽の役所太常寺から分離して宮廷直属とした。…

※「内教坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android