六郎丸村(読み)ろくろうまるむら

日本歴史地名大系 「六郎丸村」の解説

六郎丸村
ろくろうまるむら

[現在地名]安心院町六郎丸

板場いたば村の東、津房つぶさ川上流右岸にある。北は尾立おだて村、南は五郎丸ごろうまる村。近世領主の変遷は妻垣つまがけ村に同じ。小倉藩元和人畜改帳にみえず、あるいは五郎丸村のうちに含まれて高付されていたか。「四日市村年代記」によると、延宝二年(一六七四)には津房組一四ヵ村のうちの一村であったという。元禄豊前国高帳では高三九四石余。天保三年(一八三二)の中津藩郷村高帳下書によると三一石余の新田があり、同四年の中津藩郷村高帳下書によると高四〇三石余で、うち改出高八石余・永荒四三石余。

六郎丸村
ろくろうまるむら

[現在地名]魚津市六郎丸・立石たていし

片貝かたかい川扇状地の扇央部にあり、北西吉島きちじま村。天正年中(一五七三―九二)に建立された若宮八幡宮を六郎丸様と称したことから村名が生じたという(下新川郡史稿)正保郷帳では高五三八石余、田方三五町三反余・畑方五反、新田高二一〇石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高七六〇石・免五ツ九歩、明暦二年(一六五六)の新田高二石、小物成は山役四六匁・鮭役三六匁・鱒役一匁・鮎川役四匁(三箇国高物成帳)

六郎丸村
ろくろうまるむら

[現在地名]庄内町なか 深谷ふかたに弓袋女いぶくめなど

大分川の支流右岸に位置し、西は雲取くもとり村。北に枝郷弓袋籠いぶくめ村がある(雉城雑誌)。中世阿南あなん庄六郎丸名の遺称地。長寛二年(一一六四)九月三日の由原宮宮師僧院清譲状(柞原八幡宮文書)に薗々払除料としてみえる「深谷」は当地とされる。江戸時代は府内藩領で、奥郷蛇口組に属した(府内藩記録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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