八条院町(読み)はちじよういんのちよう

日本歴史地名大系 「八条院町」の解説

八条院町
はちじよういんのちよう

中世における東寺(現南区)領で、八条女院院町あるいは単に院町とも称された。その成立は、八条院子内親王が保延六年(一一四〇)に父鳥羽天皇の所領を譲られた時に始まる。母美福門院の没後、その遺領を加えて、八条院領は二三〇ヵ所に上った。

八条院の没後、その所領は皇族を中心に相伝されたが、後に八条院町となる所領は後宇多上皇伝領、正和二年(一三一三)一二月に上皇から東寺に寄進され、以後八条院町の名でよばれる。その段階での所在地は、寄進された時に東寺側で作成されたと思われる次の八条女院院町在所目安注文(教王護国寺文書)によって判明する。

<資料は省略されています>

この文書によれば院町の町域は、東は高倉たかくら東から西は堀川ほりかわ東まで、北は八条坊門はちじようぼうもん北から南は八条南までの区域にわたり、ほぼ現在の京都駅構内に相当する。また同文書に「女院庁跡」「女院御倉跡」とあるのは、八条女院の家政機関の跡である。「女院御所跡」とは八条女院在世中の住居であり、「玉葉」の、「今夕雖幸于八条院御所八条東洞院、主上御不予六借、御延引云々」(治承四年三月一九日条)、あるいは「入夜有火、出来自七条室町東西、而相并十余町焼亡、当時院御所八条院御所、即御同宿也、近令免了」(寿永三年二月二日条)により、女院在世中の様子をわずかにうかがうことができる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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