八子村(読み)やこむら

日本歴史地名大系 「八子村」の解説

八子村
やこむら

[現在地名]西伯町八金やかね

金崎かねがさき村の北東東長田ひがしながた川支流八金川の上流金華きんか(権現山ともいう)の麓に位置する。枝村として北西久蔵びしやくら、北に蓮華寺れんげじがある。東方の山並が日野郡境で、山道で北の馬佐良ばさら村と通じている。村名は昔金華山中にあった寺院八国やこく寺にちなむともいわれるが、「伯耆志」は、これを疑わしいものとする。拝領高は一〇四石余、本免は五ツ四分。

八子村
はちこむら

[現在地名]吉川町八子新田はちこしんでん

下内川しもうちかわ村の南に位置し、村の東を庄内古しようないふる川が流れる。八子新田ともみえる。元禄郷帳には八子村とあり、高三七九石余。「風土記稿」によれば、寛永八年(一六三一)の江戸川作場渡しに関する書付にも八子村とあるという。また寛政一二年(一八〇〇)の庄内古川丹後落堀継普請中御用留(京都大学文学部蔵)などにおいても八子村とする。しかし「風土記稿」・旧高旧領取調帳・「郡村誌」などでは八子新田としている。延宝四年(一六七六)・元禄一〇年(一六九七)検地が行われた(風土記稿)。江戸川作場渡しは対岸今上いまがみ(現千葉県野田市)への船渡しで、村内の名主八十郎をはじめ鍋小路なべこうじ・上内川・下内川各村の者も対岸に出作していたため、この船渡しを利用した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報