佐敷村(読み)さしちむら

日本歴史地名大系 「佐敷村」の解説

佐敷村
さしちむら

[現在地名]佐敷町佐敷さしき兼久かねく富祖崎ふそざき

現佐敷町域の中ほどに位置し、北は海に臨む。佐敷さしち間切の主邑であった。仲上原の佐敷ようどれ(県指定史跡)は第一尚氏の聖地であり、尚思紹王とその妻ほか六名を葬ったと伝える。また尚氏王統にかかわるという「つきしろの岩」「つきしろの井」などがあり、佐敷集落の南側の丘陵にある佐敷上さしきういグスクには尚巴志王を記念した「つきしろの宮」が建立されている。村内の平田文子の始祖尚徳王(在位一四六一―六九年)の第二子で、長じて農事に努め、屋比久やびく地頭職となったという(「球陽」尚敬王三一年条)。「おもろさうし」巻一九の七に「一 さしきから もたいきよ きちゑ(佐敷から栄え子が来て)/やちよ しらよきやは(八千代 白雪〔米〕を)/おきやかもいに みおやせ(輝く御方〔王〕に奉れ)/〔又〕ねく国から もたいきよ(根国から栄え子が〔来て〕)/又 おれつむか わかなつか たては(おれづむ・若夏の季節になると)」とある。

佐敷村
さしきむら

[現在地名]芦北町花岡はなおか

近世前期までの佐敷村は、佐敷町部を取囲んだ本村舟津ふなつ村・東泉寺とうせんじ村・かこい村・井上いのうえ村の小村を含んだ領域だったが(国誌)、近世末になるとかみ町・しん町の発生などによる町部の膨張と、各小村および佐敷本村のうちの杉谷すぎたに村などの分離により、現在の花岡東はなおかひがし区の北西部のみが佐敷村とよばれた。文化一〇年(一八一三)の佐敷手永村々高附帳(熊大図書館蔵)では高六〇四石余、同一一年の佐敷手永略手鑑(同館蔵)東泉とうせん寺・来迎らいごう寺・実照じつしよう寺・勝延しようえん寺・杉本すぎもと院の五ヵ寺と諏訪宮一ヵ所、古城跡二ヵ所を書上げる。明治三年(一八七〇)佐敷郷御通筋御手鑑帳(芦北図書館蔵)には「佐敷村之内 一従前番士長宅一ケ所 右番士長宅之内 一武具倉廩壱軒(中略)同村之内佐敷詰士族屋敷八ケ所(中略)一山壱ケ所 右城山より実照寺上迄 但佐敷詰請(中略)一往還追分 右薩州通 左求麻通(中略)佐敷村 御通筋御左弐町余入込高六百四石六斗 免五ツ壱分七朱 戸数五拾軒 一人数弐百拾七人 男百拾人 女百七人 牛壱匹 馬三拾壱匹 郡医師壱人 郷士八人」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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