伊里布(読み)いりふ(英語表記)Yi-li-bu; I-li-pu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊里布」の意味・わかりやすい解説

伊里布
いりふ
Yi-li-bu; I-li-pu

[生]乾隆37(1772)
[没]道光23(1843).広州
中国,清末の官僚満州 鑲黄旗の人。嘉慶 15 (1810) 年の進士。陝西山東雲南巡撫歴任,道光 13 (33) 年雲貴総督,同 19年両江総督となった。同 20年のアヘン戦争には欽差大臣として浙江出征,舟山列島奪回を試みたが失敗し,解任,処罰された。のち再び起用され,同 22年には耆英 (きえい) とともに清朝全権として南京条約調印。次いで欽差大臣,広州将軍として通商条約交渉にあたったが,そこで病死した。

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世界大百科事典(旧版)内の伊里布の言及

【アヘン戦争】より

…かくして,奕山が指揮した先の広州戦役に続き,奕経による浙江戦役も大部隊を集めながら敗北した。道光帝は和議に転じ,盛京将軍耆英(1790‐1858)と両江総督伊里布(1772‐1843)を講和交渉のために浙江に急派した。しかしポティンジャーは和議を拒否し,5月に寧波,鎮海を撤退して舟山を基地とし,乍浦(さほ)を攻略して長江(揚子江)への進攻を開始した。…

【南京条約】より

…江寧条約ともいう。1842年8月29日(道光22年7月24日)英艦コーンウォリス号において,清国全権耆英(きえい),伊里布とイギリス全権ポティンジャーH.Pottingerとの間に南京条約全13条が締結された。ここにアヘン戦争は終りを告げ,同条約は翌年6月に香港で批准された。…

※「伊里布」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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