伊東庄・伊東郷(読み)いとうのしよう・いとうごう

日本歴史地名大系 「伊東庄・伊東郷」の解説

伊東庄・伊東郷
いとうのしよう・いとうごう

現在の伊東市中部から中伊豆町にかけて所在した庄(郷)狩野一族の伊東氏の本拠地。地名は弘長元年(一二六一)六月二七日の日蓮書状写(日蓮聖人遺文)に「伊豆の伊東かわな」とある。庄名は弘安五年(一二八二)一〇月七日の波木井宛日蓮書状写(同書)に「伊豆国伊東荘」とみえるのが早く、日蓮は弘長元年五月一二日に当地へ配流され、地頭の伊東八郎左衛門尉の下で三年間を過ごしている。また日蓮聖人註画賛には「豆州伊東浦」とある。「吾妻鏡」建仁三年(一二〇三)六月一日条によれば、将軍源頼家が狩場に赴いた際に「伊東崎」の洞窟を探索させている。この洞窟は同市南端辺り「ヘビ穴」にあたるともいわれている。

岩波版「曾我物語」巻一には「伊豆国伊東・河津宇佐美、この三ケ所をふさねて、美庄と号するの本主は、美入道寂心にてぞありける」とあり、伊東は河津かわづ(現河津町)宇佐美うさみとともに伊東氏の所領(葛見)庄に含まれていた。おか葛見くずみ神社の慶長一五年(一六一〇)の棟札にも「賀茂郡葛見庄伊東郷岡之村」(増訂豆州志稿)とあるが、伊東郷と葛見庄との関係は明確ではない。寂心(工藤祐隆、または助隆・家次)は長男祐家が先立って没したため、次子祐継(助継)嫡子として伊東郷を譲り、祐家の子祐親(助親)養子として河津郷を譲り河津次郎と名乗らせた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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