伊佐別府(読み)いさべつぷ

日本歴史地名大系 「伊佐別府」の解説

伊佐別府
いさべつぷ

現伊佐町一帯の地と思われるが、位佐いさ庄との関係などは不明。

鎌倉時代初期の長門守護佐々木定綱の七男行綱について、「尊卑分脈」は「長州伊佐別府相伝之」と記している。しかし「今昔物語集」巻二八に載る、豊後の講師某が鎮西から船で京に上る途中、海賊に襲われた話のなかに、その講師が、「伊佐ノ入道ハ其ニテ海賊ニ値テ、被縛テ船ノ物皆被取ニケリ」といわれるのも口惜しいから疾くこの頸を掻き切れといったところ、これを聞いた海賊が「伊佐ノ平しんぼちノ坐スルニコソ有レ、疾ク迯ゲヨ」と鳥の飛ぶがごとくして去ったとある。この話によれば、佐々木伊佐氏以前に伊佐を所領とし、伊佐氏を名乗った平氏一族がいたことになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報