今道越(読み)いまみちごえ

日本歴史地名大系 「今道越」の解説

今道越
いまみちごえ

北国から近江を経て京都に入る間道。大津宮跡から北西のたに(標高三五〇メートル)を越えて山中やまなか町を通り、京都の北白川きたしらかわに至る。大津北部の湖岸に位置する坂本・唐崎からさきから崇福すうふく寺跡を通り、山中町を経て北白川に至るルートも想定される。今路越とも記し、歌枕として知られる志賀しが山越、あるいは山中越ともいう。江戸時代の「東北歴覧記」には「江州志賀ヘ越ル道アリ、至テ峻嶮ナリ、是古ニ所謂志賀ノ山越ナリ、今ハ山中越ト云フ」とあり、「輿地志略」は「見世村より平安城へ出づる道なり、其道山中村を過ぐる故に山中越の名あり、或は今道越ともいう。是如意越に対する称なり」と記す。なお如意によい越は園城おんじよう寺から西方如意ヶ嶽(四五九メートル)を通り、北白川に至る道とされる。

〔古代・中世〕

「日本後紀」弘仁六年(八一五)四月一二日条によると、嵯峨天皇が崇福寺を経て唐崎に御幸しているが、これは記録に残る今道越の早い使用例であろう。歌枕にかかわる道としても知られ、「古今集」の紀貫之の詞書に「しがの山ごえに女のおほくあへりけるによみてつかはしける」と記され、「後拾遺集」には橘成元の「さくらばなみちみえぬまでちりにけりいかがはすべきしがのやまごえ」の歌が載る。また「志賀の山越」とともにしばしば歌に詠まれた「山の井」は、山中町に今なお残る樹下じゆげ神社の一の鳥居近くの「玉の井」に比定され、「古今集」には「しがの山ごえにて、女の山の井にてあらひむすびてのむを見て むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな」という紀貫之の歌が載る。

久安三年(一一四七)七月一五日、延暦寺衆徒が洛中に乱入するとの風聞があったようで、京都より「如意山路」と「今道」に兵士が派遣されている(本朝世紀)。寛元四年(一二四六)正月、坂本から京都に帰るにあたって「葉黄記」に「帰路用今路、志賀山越也、其行程三里云々、自旧年為山門之沙汰作此路、三井寺僧不受之」と記しており、延暦寺がこの道の保全に配慮していたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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