仁位村(読み)にいむら

日本歴史地名大系 「仁位村」の解説

仁位村
にいむら

[現在地名]豊玉町仁位

対馬のほぼ中央に位置し、浅海あそうの北部に深く湾入した入江に臨む。西に天神てんじん山があり、北東の峰境より仁位川が流れる。「津島紀略」には仁位郷の中央で、府中ふちゆう(現厳原町)とは八里三四町の間とある。かつて瓊浦にうらと称していたが、仁位に転じたものという(津島紀事)。仁位川流域に開ける平野部は対馬では数少ない農耕地となっている。河口の東の岬に弥生時代後期の東の浜ひがしのはま遺跡がある。天神山の南東麓にあるどううち丘陵の上手の観音堂に由来する地名で、黒曜石・土器片が出土したほか、仁位家の屋敷内で発掘された石棺から有柄式磨製石剣が出ている。この堂ノ内遺跡の南の浜殿はまどの神社境内では数基の石棺跡がみられ、さらに南に続く台地上にも点々と遺跡が存在する。このように弥生時代の遺跡や墳墓が多く、式内社とする古社も二ヵ所あり、古代から島内の有力者がいた地の一つで、中世にかけて郡名ともなるが、南北朝期には対馬島主が居館を構え、その菩提寺を置いていた。文明六年(一四七四)八月六日の宗職家所領注文(仁位郷判物写)に「たうろけ」「はなその」「おうさと」「ミやくひ」とともに「なかむら」とみえ、仁位郡の中村と考えられる。

仁位村
にいむら

[現在地名]上月町仁位

上月村の東、佐用川の左岸に位置する。江戸時代の領主変遷は慶安二年(一六四九)幕府領となるまでは上月村に同じ。享保元年(一七一六)安志藩領となり幕末に至る(「小笠原家譜」東京大学史料編纂所蔵、延享三年「小笠原長逵知行目録」小笠原文書など)正保郷帳に村名がみえ、田方二一三石余・畠方五九石余。延宝七年(一六七九)検地帳(仁位村文書)によれば高二六二石余・反別二〇町六反余、田畠名請人五六・屋敷名請人三一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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