五常(読み)ゴジョウ

デジタル大辞泉 「五常」の意味・読み・例文・類語

ご‐じょう〔‐ジヤウ〕【五常】

儒教で、人が常に守るべきものとする五つの道。
仁・義・礼・智・信の五つの道徳漢書)。
五典ごてん」に同じ。
五倫ごりん」に同じ。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「五常」の意味・読み・例文・類語

ご‐じょう ‥ジャウ【五常】

〘名〙
① 儒教で、人が常に行なうべき五種の正しい道をいう。通例、仁、義、礼、智(知)、信をさし、これは「孟子」に見える仁義礼智四徳に、五行説によって信を加え、五徳目としたもの。また別に、父、母、兄、弟、子の五者の守るべき道として、義、慈、友、恭、孝をいう。
※続日本紀‐養老四年(720)六月己酉「詔曰。人稟五常仁義斯重。士有百行、孝敬為先」 〔白虎通情性

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

普及版 字通 「五常」の読み・字形・画数・意味

【五常】ごじよう(じやう)

人の常に行うべき五つの道。〔漢書、仲舒伝〕夫(そ)れ仁義禮智信は五常の、王の當(まさ)に脩飭(しうしょく)すべきなり。五脩飭す。故に天のを受け、鬼の靈を享(う)く。

字通「五」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「五常」の意味・わかりやすい解説

五常 (ごじょう)
Wǔ cháng

中国において,人の常に行うべき五つの道,仁・義・礼・智・信をいう。性善説をとなえた孟子は,他人の不幸を見すごすことのできない〈惻隠(そくいん)の心〉を仁の端,不善を恥じにくむ〈羞悪しゆうお)の心〉を義の端,権威に服従する〈辞譲の心〉を礼の端,善悪を弁別する〈是非の心〉を智の端と言い,この四端は道徳そのものではないが,これを拡充すれば仁・義・礼・智の徳が成立すると説いた。漢代になると董仲舒(とうちゆうじよ)はこれに信を加え,木・火・土・金・水の五行(ごぎよう)に配して,五常と称した。これを受け継いだ《白虎通義》には,仁とは生を好んで人を愛すること,義とは決断して中を得ること,礼とは道を履(ふ)んで文を成すこと,智とは微を見て著を知ること,信とは一を守って移らないこと,と述べられている。晋代以後になると,五常を五典,すなわち父は義,母は慈,兄は友,弟は恭,子は孝の教えであるとする説もあらわれた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「五常」の意味・わかりやすい解説

五常
ごじょう

五行(ごこう)ともいい、儒教において恒常不変の道とされる、仁義礼智(ち)信の五つの徳。別に五倫・五教などをさすことがあるが、前漢の董仲舒(とうちゅうじょ)が王者の修めるべき「五常の道」としてこの五徳を唱えてから、五倫とともに儒教倫理説を代表するものとなった。これより先、孔子(こうし)(孔丘)は、諸徳を包摂する最高の徳として仁を説き、孟子(もうし)(孟軻(もうか))は仁義を強調し、さらに礼智をあわせた四徳四端を唱えて性善説を展開したが、董仲舒は五行(ごぎょう)思想に基づいてこれに信を加えたのである。なお、中国仏教では、五戒をこれに配して五常ともよび、不殺生戒は仁、不偸盗(ふちゅうとう)戒は義、不邪婬(ふじゃいん)戒は礼、不飲酒戒は智、不妄語(ふもうご)戒は信とし、これを実行することが大孝であると説いている。

[廣常人世]

『赤塚忠他編『中国文化叢書2 思想概論』(1968・大修館書店)』『宇野精一著『儒教思想』(1984・講談社学術文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「五常」の意味・わかりやすい解説

五常【ごじょう】

五倫(ごりん)と並ぶ中国古来の基本的徳目。すなわち,仁・義・礼・智・信。孟子の四徳に信を加え,五行に配して五常としたのが漢代の董仲舒。晋代以降は五典(父義,母慈,兄友,弟恭,子孝)とも同一視された。
→関連項目朱子学

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五常」の意味・わかりやすい解説

五常
ごじょう
Wu-chang

儒教で説く仁,義,礼,智,信の5つの基本的徳目をいう。孔子,孟子を経て,漢の董仲舒によって,五行説の影響を受けて確立した。五倫をさす場合もある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の五常の言及

【義】より

…ことがらの妥当性をいう。儒教では五常(仁義礼智信)のひとつとして重視され,しばしば〈仁義〉〈礼義〉と熟して使われるが,対他的,社会的行為がある一定の準則にかなっていることをいう。《礼記(らいき)》礼運篇では人の義として,父の慈,子の孝,兄の良,弟の弟(てい)(目上の者に対する従順さ),夫の義,婦の聴(聴き従う),長の恵,幼の順,君の仁,臣の忠の十義を列挙する。…

【近世社会】より

… 農民が領主農民関係をいかに考えていたかを確かめることは難しいが,農民の著作はその一端を示す。みずから耕作したものでなければ著せない具体性をもった農書《百姓伝記》(1680年ごろの著作と推定される)は,農業そのものの記述に先立つ第2巻を〈五常之巻〉と名づけている。そこでは仁義礼智信の五常道を一つでも欠くものは人にあらずとした後,その一つ一つの道を説明するが,そのなかで農民にとっての仁義智信は領主・役人に対して私心なく敬い,御役儀(年貢,諸役)をつとめることであると,各項で繰り返し述べている。…

【五行】より

…なお基本的な五つの道徳が五行とよばれることもある。その場合,仁・義・礼・智・信の五常があてられるのが普通であるが,1973年に馬王堆から発見された帛書(はくしよ)のひとつ,《帛書五行篇》では仁・義・礼・智・聖が五行とよばれている。陰陽五行説【吉川 忠夫】。…

【徳】より

…ルネサンス期には徳(ラテン語virtus,英語virtue)は男らしい精神的・身体的有能性を特に意味した(ギリシア語のアレテも軍神を意味するアレスArēsと同根語である)。中国では,智仁勇の三徳,仁義礼智信の五常の徳,父子の親,君臣の義,夫婦の別,長幼の序,朋友の信の五倫の徳,日本では,神道の正直,儒教の誠,仏教の慈悲という三元徳が挙げられよう。道徳的生活の道しるべを設定する徳論は,倫理学の最初にではなくて最後に位置すべきものであるが,ニヒリズムが顕在化した現代では,倫理学も徳論までは到達しがたく,元徳も定まりがたい。…

※「五常」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」