久野川村(読み)くのかわむら

日本歴史地名大系 「久野川村」の解説

久野川村
くのかわむら

[現在地名]芦北町丸山まるやま

佐敷さしき支流田川たがわ川の上流、狭い山間にある農山村。西の山を越えた米田よねだ川筋湯浦ゆのうら川の支流なので川筋が異なる。寛永一〇年(一六三三)人畜改帳に田畠高四八八石四斗余、居屋敷二四ヵ所、家数一二九軒、男女二〇三、うち女七九、庄屋一・頭百姓一九・名子百姓二四、牛一五・馬九とある。この史料では個々の人名の脇に「牛淵村」「野々木河内」「杉ノ原」「梅木つる」「上久の川」「かちの迫」「長崎」「萱尺」などが記されているので、田川川に沿った諸村を含んでいたと思われる。湯浦手永に属し、「国誌」に「里俗上久野川村ト云」とあるように、寛永一六年の葦北郡地侍御知行割帳(徳富文書)に「上久野村」とあり、延宝三年(一六七五)の湯浦手永小村限御帳(芦北町誌)に上久野川村のみがあり、男女九一、うち女四三、一五歳より六〇歳までの男三二人のうちに三人の郡筒を含み、竈数一二、馬二とある。

久野川村
くのがわむら

[現在地名]下呂町久野川

夏焼なつやけ村より南西久野川峠を越えた、飛騨川支流久野川沿いにある。久能川村とも書く。慶長一〇年(一六〇五)五月二三日の実蔵坊飛騨檀那目録案(経聞坊文書)に「くの河」とみえる。同年の飛騨国郷帳では麻生あそう郷に属し、高八八石余、うち田四五石余・畑四三石余、物成二五石余。同一八年の郷帳では一二六石余。元禄検地反歩帳では中呂ちゆうろ郷に属し、高三一石余、田二町三反余・畑二町八反余。「飛騨国中案内」によれば免四割九分八厘、家数一九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android