丹生川村(読み)にゆうかわむら

日本歴史地名大系 「丹生川村」の解説

丹生川村
にゆうかわむら

面積:二二七・八七平方キロ

郡の北東端に位置し、東西に細長く南北に狭い。東部には飛騨山脈乗鞍のりくら(三〇二六・三メートル)恵比須えびす(二八二三メートル)などの山々が南北に連なり、東から西に小八賀こはちが川と荒城あらき川が流れ下り両川沿いに集落が点在する。北は吉城よしき上宝かみたから村、東は同村と長野県南安曇みなみあずみ郡安曇村、南は高根たかね村・朝日あさひ村・高山市に接し、西は吉城郡国府こくふ町。東の乗鞍岳から当村西端までおよそ二五〇〇メートルの標高差があり、荒城川沿いでもおよそ一一〇〇メートルの標高差がある。積雪は平坦地でおよそ五〇センチ、山岳地帯では二メートルにも達する。明治八年(一八七五)大野郡二七村と吉城郡五村が合併して成立した村で、村名は、乗鞍大丹生おおにゆう池から流れ出る小八賀川の古名丹生の川にちなむ。

丹生川村
にうがわむら

[現在地名]九度山町丹生川

紀ノ川支流の丹生にう川の北側流域を占める山村。「続風土記」は「高野領内に深く突入て丹生川の崖につきて人家あり、故に丹生川村といふ」と記す。田麻たま青淵あおぶちの二つの小名がある。本来高野山領であったが、天正一九年(一五九一)豊臣秀吉による寺領復活の折に含まれず、和歌山藩領に編入された。慶長検地高目録によれば村高九八石余、小物成二斗五升五合。中組に属し、「続風土記」は村高一〇四石余、家数六四、人数五〇二と記す。

丹生川村
にぶのかわむら

[現在地名]嬉野町大字不動山ふどうやま丹生川たんじようがわ

現嬉野町の西に位置し、長崎県との境をなす。正保絵図に村名がみえる。藩政時代は嬉野郷に属して大村藩領と接し、またこの村は蓮池はすのいけ支藩領と佐賀本藩領に分れていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報