朝日日本歴史人物事典 「丸山名政」の解説
丸山名政
生年:安政4.9.25(1857.11.11)
明治期の政党政治家。信濃国(長野県)須坂藩士丸山本政の長男として江戸に出生。講法学舎を経て明治法律学校(明治大学)卒業。内務省地理局勤務ののち自由民権運動入り。嚶鳴社員として立憲改進党結成に参画。『東京横浜毎日新聞』記者,『下野新聞』主筆なども務めた。しかし改進党中央リーダーとしての活躍はさほど目立ったものではない。明治18(1885)年に代言人となる。議会開設後,長野2区から総選挙に立ったが改進党系の基盤が元来弱かったため苦戦,当選は第2回総選挙のみ。大選挙区制施行後の第8回総選挙で東京から当選。<著作>『通俗憲法論』
(村瀬信一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報