中目黒村(読み)なかめぐろむら

日本歴史地名大系 「中目黒村」の解説

中目黒村
なかめぐろむら

[現在地名]目黒区目黒一―三丁目・上目黒かみめぐろ一丁目・中目黒一―五丁目・三田みた二丁目・中町なかちよう一―二丁目・中央町ちゆうおうちよう一―二丁目・祐天寺ゆうてんじ二丁目・五本木ごほんぎ二丁目

目黒川の中流域、蛇崩じやくずれ川と合流する地に展開し、北は三田村。領域は判然としないが、慶長(一五九六―一六一五)頃の紀州熊野御師実報院がまとめた諸国旦那帳(米良文書)に「めぐろ」と「中めくろ」がみえる。江戸時代初頭は幕府領であったが、のち芝増上寺領となり幕末に至る(旧高旧領取調帳など)。慶長一七年六月の増上寺領目録写(増上寺文書)に「三百六拾九石 中里村」とあり、石高などからこれは目黒村(中目黒村と下目黒村)をさすものと考えられているが(目黒区史)、在地に残る史料は当村が増上寺領となった時期を寛永九年(一六三二)と記しており(「村由緒并諸式控帳」鏑木家文書)、詳細は不明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報