中津野村(読み)なかつのむら

日本歴史地名大系 「中津野村」の解説

中津野村
なかつのむら

[現在地名]姶良町中津野

南流する山田やまだ川に南東流する蒲生かもう川が合流する地点の北側に位置し、東は豊留とよどめ村・三拾町さんじつちよう村。中世には中津乃とも記される。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)によると、帖佐西ちようささい郷の公田一四三町五段のうちに「中津乃十二丁五反大」とみえ、貢進田五段を除いた定田一二町大に石築地役が課せられ、二尺六寸を負担しているとあるが、正しくは一丈二尺六寸であろう。弘安年間(一二七八―八八)頃の守公神侍畳図写(同家譜)によると、中津野は小畳三帖を負担している。康安元年(一三六一)七月日の正八幡宮領帖佐村供田坪付注文(旧記雑録)に、供田外として「なかつのゝむらの内きやうてんもたゐ五反」とあり、中津乃村のうちに正八幡宮(現鹿児島神宮)の経田が存在していた。

中津野村
なかつのむら

[現在地名]宿毛中角なかつの

みや村の東北、松田まつだ川沿いの村。キガル山(三四八メートル)東南麓に立地。宿毛郷一村。「土佐州郡志」は「舟床・井屋之川・西谷・中津野四村惣曰中津野、縦横三十町、(中略)戸凡三十余、其土多砂」と記す。なお「南路志」は「中津村(中略)今曰中津野」といい、江戸後期には「中角」とも書き(西郡廻見日記)、近代以降中角に定着。

天正一八年(一五九〇)の宿毛村地検帳にみえる舟床・山ノタ・差出・平野・伊屋川・中津野の各小村(いずれも宿毛を冠する)が江戸時代の中津野村に含まれると思われる。各村の総検地面積は三八町四反余。「散田」「吉奈城領」が比較的多い。

中津野村
なかつのむら

[現在地名]金峰町中津野

新山にいやま村の北、なか岳の北麓、さかい川流域に位置し、北は田布施たぶせ尾下おくだり村。阿多あた郷のうち。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳によれば高一千七三七石余。「三州御治世要覧」では延享(一七四四―四八)頃の高一千六〇石余。旧高旧領取調帳では高一千一一石余。諏訪上下神社(現南方神社)は宝徳三年(一四五一)棟札があり、天文一二年(一五四三)島津忠良が再建したという(三国名勝図会)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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