日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村太八郎」の意味・わかりやすい解説
中村太八郎
なかむらたはちろう
(1868―1935)
普選運動の推進者。慶応(けいおう)4年2月20日、長野県で名主の子に生まれる。奨匡(しょうきょう)社などの自由民権運動の影響下に育ち、上京して、1883~88年(明治16~21)岡千仭(せんじん)の漢学塾と専修学校に学ぶ。帰郷して、鉄道敷設や米穀取引所設置に努め、改進党・進歩党系の政治家として知られた。日清(にっしん)戦争後、木下尚江(なおえ)らと松本に平等会をつくり、97年、東京で社会問題研究会、松本で普通選挙期成同盟会の結成に参画した。投獄にめげず、貴衆両議院への普選請願書提出、雑誌『普通選挙』の発行などを松本で行い、1902年(明治35)以降は全国を舞台に普選運動に尽力した。日朝親善、土地国有問題にも取り組み、05年、山路愛山(やまじあいざん)らと国家社会党の創立に参加、25年(大正14)には土地国有講究会を組織した。昭和10年10月17日没。墓所は東京多磨霊園、郷里東筑摩(ひがしちくま)郡山形村清水寺(せいすいじ)に顕彰碑がある。
[上條宏之]
『平野義太郎編『普選・土地国有論の父中村太八郎伝』(1938・日光書院)』