中城御殿跡(読み)なかぐしくうどうんあと

日本歴史地名大系 「中城御殿跡」の解説

中城御殿跡
なかぐしくうどうんあと

[現在地名]那覇市首里大中町一丁目

龍潭りゆうたんと道路を挟んで北にあった世子殿。現在の県立博物館の敷地にあたる。もと綾門大あいじよーうふ道の北側、安国あんこく寺の向いにあったが、尚泰王の王子尚典の立太子に伴い当地に移されることになった。王子は世子(御太子)になると中城なかぐしく間切を領地とするとともに知行高を下賜されて中城王子と称し、中城御殿と俗称される世子殿に住んだ。尚典が世子となったのは同治七年(一八六八)(中山世譜)、同年大村按司・摩文仁按司・川平親方・小禄親雲上らの宅地を合せた地に世子殿を移すことが決まり、同九年に着工、同一三年三月に完成した(「球陽」尚泰王二一年条)。「中山世譜」には同治一一年七月二五日、尚典が東宮(世子殿)に移徙するため五〇〇石を頒賜したとあり、「球陽」ではその翌年の尚泰王二八年(一八七五)三月五日に移徙したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報