中分絵図(読み)ちゅうぶんえず

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中分絵図」の意味・わかりやすい解説

中分絵図
ちゅうぶんえず

鎌倉時代の中期荘園(しょうえん)の下地(したじ)中分が行われた際、作成された絵図。鎌倉時代の地頭(じとう)は、荘園の年貢を抑留したり、土地押領を行ってその権限の伸張を図ったため、荘園領主と地頭との間には争論絶え間なく起こった。その解決の方法の一つとして中期以降にとられたのが下地中分の法である。下地分割は地頭と領主との談合によって決められ、談合が成立すると契約状と絵図とをつくり、幕府に申請して幕府の保証状を取り付けた。下地中分には、地頭と領主とが2分の1ずつ折半する(一対二の場合もある)方法や、荘園内の地目ごとに分割する方法などがあった。2分の1ずつ折半する例として奈良一乗院(いちじょういん)領薩摩(さつま)国伊作(いざく)荘内日置(ひおき)北郷(ほくごう)の場合がある。ここで下地中分が行われたのは1324年(正中1)で、このとき伊作荘日置北郷の二地域で行われたが、前者は荘を分断する河川をもって境としたので絵図は作成されず、後者、日置北郷のほうは、中分境はまとまりある名(みょう)(吉利名(よしとしみょう))の中心集落を通り抜けることになったので、以後紛争を断つために境界線の明示された絵図が作成された(薩摩国伊作荘内日置北郷下地中分図)。地目ごとの分割の例として、京都松尾社領伯耆(ほうき)国東郷(とうごう)荘の場合がある。これには中分絵図が現存し(東郷荘下地中分図)、またこの絵図の紙背(しはい)文書により分割の方法がわかる。それによると、〔1〕道路のある所は道路をもって境とする。〔2〕道路など境のない所は領家(松尾社)と地頭両方が寄り合って際目(さいめ)に溝を通す。ただ深山で峰・谷があって掘り通すことができないときは、絵図面の朱線どおりにまっすぐに見通して実地の境とするというもので、絵図によると、田畑・馬野(牧)・山林など地目ごとに南北あるいは東西の朱線で中分している。ここにあげた二例は中分図としても有名である。

[奥野中彦]

『荘園研究会編『荘園絵図の基礎的研究』(1973・三一書房)』『竹内理三編『荘園絵図研究』(1982・東京堂出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の中分絵図の言及

【下地中分】より

…その手続としては当事者相互の和解によるもの(和与(わよ)中分)と領家方から申請をうけた幕府が,一方的に中分命令を下す例とがあった。いずれにせよ,その結果,正式に中分絵図や分文(わけぶみ)が作成され,幕府の承認をえて,相互に一円支配を行うことになった。14世紀中ごろ以降,室町幕府が半済(はんぜい)法実施にともない下地分割を認めたのは,基本的には鎌倉幕府のこのような領家と地頭との領主的対立に対する調停者的妥協策の踏襲と考えられる。…

※「中分絵図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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