下松尾村(読み)したまつおむら

日本歴史地名大系 「下松尾村」の解説

下松尾村
したまつおむら

[現在地名]椎葉村松尾 下松尾

中八重なかのはえ村の北東に位置する。下松尾掛一八ヵ村の一つで、松尾組に属する。明暦二年(一六五六)の椎葉山入組注進書状(相良家文書)に「松尾と申在所之久右衛門」とみえる。また寛永五年(一六二八)の椎葉山法度(同文書)には幕府より椎葉山衆として支配を容認された御朱印方の一人として松尾(松岡)久左衛門尉の名がみえる。明暦二年に椎葉山が肥後人吉藩預所となってからは、同氏の子孫が下松尾掛庄屋を勤める。庄屋屋敷は現在も当地高台の石垣上にある。日向国覚書に椎葉山之村形の一村として下松尾とみえる。延享三年(一七四六)に検地竿入がなされ、田二畝余・畑二町五反余の計二町五反余(高二石三斗余)が打出された(天明元年「椎葉山高反別取米一村限帳控」内藤家文書)

下松尾村
しもまつおむら

[現在地名]熊本市小島下おしましも

権現ごんげん(二七三・二メートル)の南斜面から坪井つぼい川を挟み小島村に対し、北と東は松尾村に接する。「国誌」に「松尾村ノ内」とあり、寛永一二年(一六三五)の地撫帳に下松尾村とあり、横手又右衛門手永に属し、田二一町七反余・畠六町八反余・山畠二町余のほか新地野開田八反余・畠一町三反余を記載する。その後池田手永に属し、「国誌」に「中洲村楢崎村千金甲村等ノ小村アリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android