下代村(読み)しもだいむら

日本歴史地名大系 「下代村」の解説

下代村
しもだいむら

[現在地名]溝口町福岡ふくおか

北東流する野上のがみ川上流部に位置し、北は焼杉やけすぎ村、北東は郷原ごうばら村。拝領高は一三〇石余、本免は五ツ三分。福田氏の給地であった(給人所付帳)。延享三年(一七四六)の巡見使案内手帳(宇田家文書)によると高一三〇石余、家数一九・人数七九、牛一〇。天保九年(一八三八)の巡見一件諸事控(西古家文書)では家数一八・人数八四、牛二一。幕末の六郡郷村生高竈付では生高一五三石余、竈数一九。

下代村
しもだいむら

[現在地名]熊本市城山下代じようざんしもだい

坪井つぼい川と白川に挟まれた低地にあり、東と北は大友おおども村、南は半田はんだ村、西は小島おしま村に接する。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳では田方二七町六反余・畠方八町三反余、分米四〇六石余とある。同一三年の検地帳では田方三八町・畠方一〇町八反余、分米四八八石七斗余で、二反二〇歩の御鷹場寄が含まれ、家数六五、男二五・女二五・子供一二、年寄・めくら各一、うば二・せんもん五、牛九のほか、蜜柑八・柿三四・こねり七を記載する。寛永一二年(一六三五)の地撫帳では横手又右衛門手永に属し、当竿前は田二六町五反余・畠七町七反余で、田のうち一町余は塩入とある。

下代村
げしろむら

[現在地名]能都町鮭尾さけお

山田やまだ川上流部に位置し、「三州地理志稿」に垣内として陸平がみえる。正保郷帳に村名がみえ高五九石余、田方一町八反余・畑方二町余、新田高二三石余。承応三年(一六五四)の村御印の高七五石余、免三ツ七歩五厘(能登奥両郡収納帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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