日本歴史地名大系 「下ツ道」の解説 下ツ道しもつみち 奈良県:総論下ツ道近世の中(なか)街道にあたり、奈良盆地中央を南北に縦貫する重要な古代交通路。橿原市見瀬(みせ)町の丸山(まるやま)古墳の周濠西端から盆地中央部を北上、同市八木(やぎ)町、磯城(しき)郡田原本町、大和郡山市稗田(ひえだ)町を経て奈良市歌姫(うたひめ)町に至り、さらに歌姫越から山城方面に通じた。のちの平城京朱雀(すざく)大路は下ツ道の延長上に置かれ、大和国の条里はこの道を基準として東西に二分する。初見は「日本書紀」巻二八の壬申の乱の大和における戦闘記事で、大海人皇子方の大伴吹負軍が飛鳥から稗田を経て乃楽(なら)山(奈良山)に至っていることが知られる。南の橿原市八木町では、東西に走る横(よこ)大路に直交し、下ツ道は藤原京の西の京極路であったとみられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報