上行寺(読み)じようぎようじ

日本歴史地名大系 「上行寺」の解説

上行寺
じようぎようじ

[現在地名]細入村楡原

楡原にれはら集落西方にある。不怠山と号し、法華宗陣門流。本尊十界大曼荼羅。元禄一〇年(一六九七)上行寺由緒(当寺蔵)によれば、開基は日来で、応永一六年(一四〇九)八月に神通川対岸の芦生あしゆう(現大沢野町)建立した。院号は法華院で、以後日賢・日円・日成と経過した。しかしのち元久二年(一二〇五)創建で畠山重忠菩提所といわれた楡原の真言宗法雲ほううん寺を追払い、同寺をもって上行寺としたという。法雲寺の畠山重忠伝説は高野聖や熊野比丘尼などの真言念仏系のものであろう。当寺は楡原保の法華宗信仰の核となった寺院で、その成立伝承として、能登守護の地位を追われて諸国を流浪した畠山義綱が上行寺の大檀那になり、永禄一二年(一五六九)楡原城にあって村人に法華宗信仰を強制し、他宗の者には改宗を強い、拒んだ者を武力弾圧したとするものがある。

上行寺
じようぎようじ

[現在地名]上野市寺町

てら町の東側北端にあり、長栄山と号し、日蓮宗、本尊十界大曼荼羅。藤堂家の伊賀での菩提寺。天正一五年(一五八七)藤堂高虎は豊臣秀吉より紀州粉河こかわ(現和歌山県粉河町)で一万石を与えられ、併旧二万石の大名となり、翌一六年京都妙顕みようけん(現京都市上京区)出身の安立坊日秀を招き、粉河の地に常行じようぎよう寺を建立。高虎の父虎高(白雲居士)は自らの墓碑を建てた(宗国史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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