上平野村(読み)かみひらのむら

日本歴史地名大系 「上平野村」の解説

上平野村
かみひらのむら

[現在地名]北波多村大字上平野

小郷こご(田中川)上流山間の村。上竹有かみたけありから上平野峠を越えて上平野の小盆地に至る。川の右岸が上平野村で左岸小平野こひらの村に区分されていたが、明治一七年(一八八四)合併して上平野村となった。

「松浦古事記」によれば、中世末期上平野・下平野・小平野と成淵なるふちの各村を総称して平野郷といい、波多氏の部将平野九郎在原天品以下五将が館を構えていた。また建治二年(一二七六)博多冷泉津れいせんつの防塁を鴨打次郎が波多太郎・鶴田馴らとともに築いている。建武四年(一三三七)筑後国石垣いしがき山合戦の注進状に「鴨打二保弥五郎諧分捕、鴨打彦六増射疵(右腕)、鴨打石田彦三郎有肩先射疵」とある。

上平野村
かみひらのむら

[現在地名]蓮田市上平野

元荒川右岸に位置し、南は綾瀬川を境にして足立郡に対する。東は井沼いぬま駒崎こまさき二村、北は元荒川を境にして柴山しばやま(現白岡町)。元荒川の下流域に同名村があるので上平野村と称するようになったという(風土記稿)。戦国期頃に成立したとみられる市場之祭文写(武州文書)に「武州崎西郡平野宿市祭」とある。岩槻領に所属(風土記稿)。天正一八年(一五九〇)と推定される一二月二〇日、「平野之内平原寺」に宛てた全阿弥の書状がある(平源寺文書)。慶長三年(一五九八)正月五日の芝切に関する傘型連署起請文(同文書)に平野村がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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