上大工町(読み)かみだいくまち

日本歴史地名大系 「上大工町」の解説

上大工町
かみだいくまち

[現在地名]函館市末広町すえひろちよう元町もとまち

下大工町の通りの上手(山手)を走る通りに沿う町で、下大工町と合せて単に大工町ともいった。万延元年(一八六〇)の箱館全図に「上大工町」とみえ、二丁目まである。明治五年(一八七二)二月に上大工町として一町となった(同年「御達留」市立函館図書館蔵、「事業報告」第一編)。「箱館夜話草」によると、当町には寛政期(一七八九―一八〇一)に江戸から来た井戸吉という仕事師が住み、箱館の井戸の多くは彼の掘ったものであるという。

上大工町
かみだいくちよう

[現在地名]静岡市大工町だいくちよう

駿府城下の縦筋(縦町)第六行北端の両側町。東と北は明屋敷、南は本通ほんとおり四丁目・五丁目。東に一向宗薫徳くんとく寺、西に同宗(現真宗大谷派)福泉ふくせん寺がある(以上、町方絵図)町名は大工の居住に由来し、駿府城修営役を勤めるため諸役免除で、大工以外の者は町方役を勤める(駿河記)。貞享三年(一六八六)の時之鐘鋳直集銭帳(県立中央図書館所蔵文書)によると、家数は丁頭家二・本家三〇・借家一一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報