三栗村(読み)みくりむら

日本歴史地名大系 「三栗村」の解説

三栗村
みくりむら

[現在地名]榛原町静谷しずたに

勝間田かつまた川の中流右岸に位置し、村内を同川支流の三栗川が北東流する。南は朝生あそう村、西は牧之原まきのはら台地へと続く。天正五年(一五七七)二月九日の武田勝頼判物写(土佐国蠧簡集残篇)に「勝間田之内三栗之郷」とあり、武田勝頼は小山こやま(現吉田町)の城将岡部長教に同郷一一貫五〇〇文などの所領を宛行っている。文禄二年検地高目録に「見くり村」とみえ、高二二八石余。正保郷帳では田方一八一石余・畑方四二石余、幕府領、ほかに正八幡(現八幡宮)領二石余・曹洞宗笠曲庵(現廃寺)領一石がある。元禄郷帳では高二七三石余。

三栗村
みぐりうむら

[現在地名]那賀川町三栗

古津ふるつ村の南、那賀川河口北岸に位置する。慶長二年(一五九七)の分限帳には三栗がみえ、高二〇六石余が細山(賀島)主水佐知行分。正保国絵図では高一九九石余。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳では田方一七六石余・畑方二三石余。元禄五年(一六九二)検地帳(那賀川町蔵)によると高二四一石余、田九町九反・畑四町余。文化一〇年(一八一三)の高都帳では高一三六石余。「阿波志」によると水陸田一三町余、高一五七石の三分の二が采地。旧高旧領取調帳では蔵入地高七四石余、高一七七石余は賀島弥右衛門の知行。天明六年(一七八六)の村々浦里男女人改帳(守野家文書)によると人数一二七、うち男五九・女六六・僧二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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