三刀屋町(読み)みとやちよう

日本歴史地名大系 「三刀屋町」の解説

三刀屋町
みとやちよう

面積:八二・六八平方キロ

飯石郡北東部にあり、北は出雲市、北東は大原郡加茂かも町、東は同郡木次きすき町、南は吉田よしだ村、西は掛合かけや町・簸川ひかわ佐田さだ町に接する。町域東端を斐伊川が北流し、大原郡との境界をなす。その西を飯石川が北流し、掛合町から北東流してきた三刀屋川に合流し、三刀屋川は町域北東端で斐伊川に合流する。これらの川の流域に集落や耕地がある。三刀屋川沿いに広島市と松江市を結ぶ国道五四号が走る。この国道は町の北東部の下熊谷しもぐまたにで当町と広島県東城とうじよう町を結ぶ国道三一四号と、また出雲市へ通ずる主要地方道出雲―三刀屋線と交差するなど当地方における交通の要衝である。加えてこの付近に中国横断自動車道尾道おのみち―松江線のインターチェンジの建設が決定している。地形的には出雲平野から中国山地にかかる境目にあたり、山林面積は約七六パーセントである。

多久和の宮田たくわのみやた遺跡では縄文後期の甕形土器が逆さまに埋められており、幼児の遺体を埋葬したものと思われる。給下の松本きゆうしたのまつもと古墳群は前方後方墳二基などからなり、古墳時代前期から終末期まで造営されている。「出雲国風土記」飯石郡条の伊我いが山・佐久礼さくれ山・奈倍なべ山・飯石小いいしお川・三屋みとや川などが町内に比定される。

三刀屋町
みとやまち

[現在地名]三刀屋町三刀屋

三刀屋川最下流部右岸、三刀屋村と萱原かやはら村に挟まれたかたちで三刀屋村の中にL字型の町並を形成する。中世末に三刀屋氏・毛利氏・堀尾氏により西出雲における戦略拠点として整備されるなかで、城下町を形成しつつあったのが町の起りという。当時の町は現在より下手下熊谷しもぐまたに村寄りにあったが、寛永年間(一六二四―四四)の数度にわたる洪水により三刀屋村の土地を買取り、現在地へ移転したという(三刀屋町誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報