三ッ口村(読み)みつくちむら

日本歴史地名大系 「三ッ口村」の解説

三ッ口村
みつくちむら

[現在地名]辰口町三ッ口

長滝ながたき村の北、手取川下流南岸に位置し、西は岩内いわうち村。伝えによると最初は三軒の村で、南方にある金剛寺こんごうじ村から移り住み開いた地といわれる。また本来手取川北岸までを村域としたが、河道の南遷により北半は現在同川の河原となった(辰口町史)正保郷帳では高五九九石余、田方三四町四反余・畑方八反余、ほかに高三九石余の三ッ口新村が載る。

三ッ口村
みつくちむら

[現在地名]余目町新田目あらため

新田目村の北にある。南北に前田野目まえたのめ―新田目間の道路が走り、北楯大きただておお堰の支流ろつそん(南堰)直角に交差する。村の成立年代について「狩川大堰由来記」では寛永三年(一六二六)、「余目町史」では元和年間(一六一五―二四)とするが、寛永元年庄内高辻帳に三口みつくち村とみえ、高二六石余、うち九石余が亥ノ興とあるから、寛永元年以前の成立であろう。正保二年(一六四五)の庄内村々高辻(酒井家文書)では高九三石余。寛文九年(一六六九)検地帳(新田目区有文書)によれば、田七町二反余・畑四畝・屋敷三反余と田がちの村で、田は下田、畑は下々畑が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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