虚空蔵堂(読み)こくうぞうどう

日本歴史地名大系 「虚空蔵堂」の解説

虚空蔵堂
こくうぞうどう

[現在地名]仙台市向山四丁目

曹洞宗の虚空蔵山大満だいまん寺の北東、広瀬川右岸沿いにある。「封内風土記」によると根岸ねぎし村の愛宕あたご山にあった仏宇であるが城下のうちで、安政仙府絵図でも城下内にみえる。別当は大満寺。虚空蔵堂は初め中世に近隣を領した国分盛重の居城であった千代せんだい城内にあったが、慶長(一五九六―一六一五)の初め頃藩祖政宗が仙台城造営のためきようヶ峰に移した。正保仙台城絵図には経ヶ峰に虚空蔵とみえ、寺屋敷とあるのが大満寺と思われる。

虚空蔵堂
こくうぞうどう

[現在地名]南郷村島守 大開

島守しまもりの中心集落の西、竜興山りゆうこうざん神社の北東山麓の道路の北側に位置する。本尊は福一満虚空蔵菩薩で、高松こうしよう寺に保管され、堂も同寺の管理下にある。寛文五年(一六六五)の無量院の御立願状(常泉院文書)に「一嶋森ノ虚空蔵 鮒之絵之事」とある。建立の年代は不詳であるが、八戸藩成立以前より建立されて信仰を得ており、八戸藩日記の貞享四年(一六八七)六月九日条に本尊の購入のため藩命により常泉院が京都へ上ったこと、同年一二月二二日条には藩より高松寺へ本尊が引渡されたことがみえる。

虚空蔵堂
こくうぞうどう

[現在地名]東海村村松

村松むらまつ砂丘内陸寄りにある。村松山日高寺と号し、真言宗豊山派。本尊は虚空蔵尊。大同二年(八〇七)空海の開基と伝え、「心車集」の村松山勤疏(「新編常陸国誌」所収)によると、大同年中慈覚大師によって開かれた三虚空蔵の一寺とする。平城天皇から「村松山神宮寺」の勅額を与えられたと伝える。中世には佐竹氏の外護を受け隆盛を極めた。文明一七年(一四八五)佐竹氏の乱で堂塔が灰燼に帰したが、白頭によって再建され、村松山日高寺と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報