七海村(読み)しつみむら

日本歴史地名大系 「七海村」の解説

七海村
しつみむら

[現在地名]穴水町七海

七海川下流左岸にあり、対岸は加賀藩領七海村。近世には上七海・向七海むかいしつみともよばれた。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によれば、南北なんぼくのうち「上志津見」で棟役を負担する役屋は一一間とある。天正一一年(一五八三)検地帳(七海区有文書)に「南北之内志津見村分」とあり、当時南北郷に属し、田畑四〇筆を八名の作人別に、大(二四〇歩)・半(一八〇歩)・小(一二〇歩)に表示した面積で記している。

七海村
しつみむら

[現在地名]能都町七見しちみ

矢波やなみ村の南に位置し、東は内浦に臨む。南端小倉おぐら崎があり、村内を内浦街道が通る。志津見とも記す。享禄五年(一五三二)五月の穴水村・諸橋六郷長衆交名案(諸橋文書)に諸橋六郷「志つミ」の藤左衛門尉の名がみえ、戦国後期頃の能登内浦村々給人注文写(同文書)では「志津見」は温井兵庫助の知行であった。正保郷帳では高二五四石余、田方七町二反・畑方九町七反余。承応三年(一六五四)の村御印の高三五四石余、免四ツ(能登奥両郡収納帳)

七海村
しつみむら

[現在地名]穴水町北七海きたしつみ

七海川下流右岸にあり、対岸は幕府領七海村。当村は加賀藩領。近世には下七海・北七海ともよばれた。当村が幕府領七海村(上七海)より南にあるのに北七海とよばれた理由は、はるか北部に離れた輪島への道沿いの小字田形たがた(新開)によるという。七海川河口付近の船渡ふなとは藩政時代の船着場であった。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によれば、南北なんぼくのうち「志津ミ」で棟役を負担する役屋は五間とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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