ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムータジラ派」の意味・わかりやすい解説
ムータジラ派
ムータジラは
al-Mu`tazilah
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…ムルジア派の判断保留は,単に罪の問題だけでなく,ウマイヤ朝とハワーリジュ派・シーア派との抗争に対する政治的中立をも意味した。これと同じ思想的風土に生じたものにムータジラ派がある。ムータジラと呼ばれた最初の人ワーシル・ブン・アターWāṣil b.‘Atā’(699‐748)は,信仰(イーマーン)と無信仰(クフル)の問題に関し,そのいずれでもない〈中間の状態〉を唱えたと伝えられる。…
…神学者にとっては,神が一つということは,神の独一性,神と被造物との隔絶性,具体的にはコーランやハディース(伝承)における〈擬人的〉表現の解釈をめぐる議論である。これについて,ムータジラ派は神の絶対的唯一性を説く立場から多性を示すとする神の属性を否定するのに対して,アシュアリー派はこれを認める。またスーフィーたちは,これを自我意識が消滅してすべてが神に包摂されてしまっているファナーの意味に用いる。…
…イラン人の女奴隷を母にもち,東方諸州の総督となったが,809年の異母弟アミーンal‐Amīn(787‐813)のカリフ即位後,両者間は険悪化,内乱となり,813年バグダードを占領してカリフ位についた。国内の反乱の鎮圧に努力する一方,バイト・アルヒクマ(知恵の館)を建設してギリシア文献の翻訳事業を推進,その影響を受けたムータジラ派神学を公認教義として思想統一を図るとともに学問を奨励した。【森本 公誠】。…
※「ムータジラ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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