ホモネアンデルタレンシス(英語表記)Homo neanderthalensis

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ホモ・ネアンデルタレンシス
Homo neanderthalensis

中期更新世の後半にヨーロッパから西アジアをへてシベリア南部に至る地域に住んでいた旧人の一種。通称はネアンデルタール人Neanderthals。ドイツのデュッセルドルフ近郊のネアンデル渓谷にあるフェルトホーファFeldhofer洞窟で,1856年にフールロットJ.C.Fulrottによって発見され,64年にキングW.Kingによって命名された男性化石人骨(Neanderthal 1)が模式標本。他にフランスのラ・フェラシーLa Ferrassieやラ・シャペロー・サンLa Chapelle-aux-Saint,クロアチアクラピナKrapina,イタリアのモンテチルツェオMonte Circeo,イスラエルアムッドAmudやケバラKenara,イラクのシャニダールShanidar,ウズベキスタンのテシク・タシュTeshik-Tashなどからも出土している。年代は約25万~3万年前。頭は低く長く,眼窩上隆起が盛り上がり,額が傾き,後頭部が突出するなど,原人の特徴を残す。頭蓋腔容積(脳容積より10%ほど大きい)は1200~1700mlもあり,ホモ・サピエンスよりも大きいくらいである。顔は中央付近が前に突出し,頬骨が前ではなく斜め外側を向いているので,キツネのような顔といわれたこともあった。下顎骨が前後に長いので,第3大臼歯の後方にさらに歯が生えられるくらいの余裕スペース(臼歯後隙)がある。後頭部は丸く隆起し(髷状(まげじよう)隆起,シニオン),後頭隆起の直上には独特の凹み(イニオン上窩)がある。男性では,身長は165cmほどだが,体重は80kg以上と推定されている。女性では,身長155cm,体重65kgほどと推定されている。四肢骨は関節の部分が大きく,高い運動負荷に適応していたと考えられる。また,手は頑丈で,指先が非常に太く,握力は強かったはずである。なお,腕や脚の先の方が短いので,ヨーロッパの寒い気候に適応した人々であると解釈されている。中期旧石器時代ルバロワ技法により鋭い槍先(ムスティエ型など)を作った。

 ホモ・ネアンデルタレンシスの化石は1848年からヨーロッパ各地で発見されていて,現在の知識でみると,眼窩上隆起が発達し,額が傾斜するなど明確な原始的特徴があった。しかし,頭蓋腔容積が大きく,大腿骨が曲がっていることなどから,フィルヒョウR.Virchowたちによって病気の現代人の骨,あるいは風変わりな種族の骨という認識がなされてしまった。その後,ジャワ原人北京原人の発見によって,古代の人類であると再認識されたが,原始的風貌が災いして,高貴なヨーロッパ人の直接の祖先とは見なされなかった。1960年代以降には,人種差別廃止運動との関連もあって,ホモ・ネアンデルタレンシスはホモ・サピエンスの亜種としてホモ・サピエンス・ネアンデルタレンシスと呼ばれ,ヨーロッパ人の直接の祖先であるというブレイスC.L.Braceたちの考え方が優勢となった。ところが,1980年代から,ストリンガーC.B.Stringerたちによって化石の形態研究が進み,ホモ・ネアンデルタレンシスはホモ・サピエンスとは別の種であるとの考えが優勢になり,さらに1990年代末になると,ペーボS.PääboたちのDNA分析によってホモ・ネアンデルタレンシスはホモ・サピエンスとは別種であることが確認された。

 ネアンデルタレンシスの起源は,60万~50万年ほど前のアフリカのホモ・ハイデルベルゲンシスであると考えられるが,さらに古くからヨーロッパにやってきたホモ・エレクトス(あるいはホモ・チェプラネンシスやホモ・アンテセソールなどとも呼ばれる)から続いているとする見解もある。スペインのアタプエルカAtapuercaやフランスのトータベルTautavel村にあるアラゴArago洞窟の30万年ほど前の化石は,一般にはホモ・ハイデルベルゲンシスとされるが,ホモ・ネアンデルタレンシスの特徴である顔面正中部の突出が見られるので,ハイデルベルゲンシスなのか初期のネアンデルタレンシスなのか議論が分かれている。

 ホモ・ネアンデルタレンシスは,少なくとも20万年以上にわたって,ヨーロッパから南シベリアに至る氷河の周辺で複雑な石器技術と頑丈な体力によって環境に適応していた。大きく鋭い槍先を作っていたこと,現代のロデオ乗りと同様な大怪我の痕が骨に残っていること,骨の安定同位体分析から肉食が主体だったことなどから,彼らは太い槍を持って大型動物に突進するような狩猟を行っていたと推定されている。海岸で貝を捕って食べていたこともわかっているが,ホモ・サピエンスのようなモリを使った積極的な魚捕りは行っていなかったようである。彼らの人骨は石灰岩洞窟の堆積に墓穴を掘って埋められた状態で発見されることがよくあるので,すでに死者を弔う意識があったと考えられている。ネアンデルタレンシスが言葉をしゃべったかどうかは,議論が分かれ結論が出ていない。頭蓋底や下顎骨の構造から判断して,喉頭がホモ・サピエンスのように下がっていないのでしゃべれなかったというリーバーマンP.Liebermanの説は,最近ではあまり支持されていない。その一方で,チョムスキーA.N.Chomskyなど認知心理学に基づく言語学者は,ホモ・サピエンスになって初めて言葉をしゃべる生成文法が獲得されたと主張している。

 ヨーロッパでたくさん発見される人骨と石器の証拠から,ホモ・ネアンデルタレンシスは,4万5000年ほど前に東ヨーロッパから侵入してきたホモ・サピエンス集団(クロマニョン人)によって,徐々に西方に押しやられ,約3万年前にスペインで絶滅したと考えられる。
旧人 →ホモ・エレクトス →ホモ・ハイデルベルゲンシス
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ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルタレンシス)と現生人類(ホモ・サピエンス)との系統関係に関しては,長い論争の歴史があったが,古代DNA分析の技術が進歩したことによって,両者の関係をDNA情報をもとに解析することが可能になった。1997年ドイツのマックスプランク研究所のスバンテ・ペーボの研究グループは,1856年にドイツのネアンデル渓谷で発見されたネアンデルタール人上腕骨からDNAを回収し,ミトコンドリアDNAの一部領域を増幅して解析することに成功した。その結果,ネアンデルタール人と現生人類は,およそ60万年前に分岐したことが示され,両者は直接の祖先-子孫関係にはないことが明らかとなった。さらにそれに続く異なる地域から出土した個体のDNA分析は,ネアンデルタール人同士の遺伝的な多様性が小さいことを明らかにした。2008年にはネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの全塩基配列が決定されている。

 2006年からは,ネアンデルタール人の核DNAの分析がスタートしている。これまでにABO式血液型の遺伝子や,言語の発達に関係するといわれているFOXP2遺伝子,髪や皮膚の色を決定するメラノコルチン受容体の遺伝子などが調べられている。その結果,スペインのエル・シドロン遺跡から発掘された2体のネアンデルタール人の血液型はO型であること,また彼らのもつFOXP2遺伝子は現生人類と同じものであることが判明した。さらにエル・シドロンとイタリアのモンティ・レッシーニ遺跡から発掘された個体の肌の色は薄く赤毛であること,ただしその遺伝子の変異はヨーロッパの現代人とは異なるものであることなども,分析の結果として明らかとなった。10年にはクロアチアのビンディジャ洞窟から発見された3体のネアンデルタール人の全ゲノムが決定され,現生人類とネアンデルタール人の間に交雑があった可能性が報告されている。現生人類に最も近縁なネアンデルタール人のDNA分析は,〈人間とは何か〉という問いに対して,遺伝学の分野からの答えを導き出す可能性があり,今後の研究の進展が注目される。
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