日本大百科全書(ニッポニカ) 「肉食」の意味・わかりやすい解説
肉食
にくしょく
動物、とくに鳥獣の肉、また乳製品を食物とすることを意味し、菜食と対(つい)をなすことば。菜食が主義として守られ、植物性食物のみが食されるのとは異なり、肉食は植物性食物も肉も食べることを示しており、その意味では雑食ともいえる。
人間は、サルから進化する途上で二足歩行、言語などいくつかの新しい特性を身につけてきたが、肉食もその一つであった。なぜならサルの多くは草食であるからである。旧石器時代の原人の遺跡からは多数の獣骨が出土し、また新人類の出現後のアルタミラやラスコーの洞窟(どうくつ)などには狩猟の光景が描かれている。彼らは木の実や草の芽などの植物性食物も食べてはいただろうが、氷河時代および後氷期の寒さに耐えるため、エネルギー補給源として狩猟による肉を重視していただろう。氷河が後退し、森や草原が増すにつれ、植物性食物をも大量に取り込むことになり、人間は実質的な雑食動物となったと考えられる。
人間が肉だけでも暮らしていくことができることは、イヌイットやサーミ人の食生活が証明している。イヌイットはトナカイや海獣の生肉を食べている。またサーミ人はトナカイを加熱処理したものをおもに食している。しかし、これらの人々が肉だけを食べるのは、自然環境が寒冷なため、植物が生育しにくいことや、肉の保存がしやすい(冷凍)ことによるもので、他地域の人間は、植物採集に食料の大半を頼ったり、農耕や牧畜という他の生業形態をとっている。
[木内裕子]
採集狩猟民と肉食
現在、採集狩猟を生業としている社会は、アフリカの森林やサバンナ、オーストラリアのアボリジニーの居住地域、南アメリカのアマゾン川上流などに限られている。アフリカのコンゴ民主共和国(旧ザイール)の森林地帯のピグミーやカラハリ砂漠のサン・クア、タンザニアのサバンナにいるハッザ、コンゴ民主共和国東部のサバンナに居住するバンボデなどの民族は、弓矢を使ってレイヨウ類やハイエナ、ハゲワシ、その他食べられる物はなんでも狩猟して食べる。実際の食生活では採集によって得られた植物性食物に依拠しているが、狩猟はその獲物の希少性のために価値が高いと考えている。また狩猟による共同労働と平等な分配とは、社会を維持する源泉ともなっている。料理方法は原始的で、土を掘って焼き石で蒸す方法が一般的であり、これはアボリジニーの社会でも同様である。一方、アマゾン川流域の人々は、バクやペッカリー、カピバラ、アルマジロ、カメなどを食用としている。多くは煮るか焼くかして食されるが、一度に食べきれない分は煙でいぶして薫製にしている。アマゾンでは、塩は貴重なものなので、塩漬けにしたり塩をふって干したりということはしないようである。またアマゾンではアリやクモ、カブトムシといった昆虫類も食べる。採集狩猟民が非常に多くの種類の肉を食用とするのは、彼らの食料確保や保存のむずかしさを物語るものでもあるだろう。
[木内裕子]
牧畜民の肉食
いまから約1万年前に農耕や牧畜が開始されると、それまで各地に存在してきた採集狩猟社会は前記のような地域に限られるようになった。農耕社会では狩猟はスポーツもしくは娯楽と化し、大形の獣や鳥が対象とされることが多くなった。
牧畜社会では、生業活動において動物を扱うとはいっても、それは財産でもあり、めったに殺して食べることはしなくなった。アフリカでは、サハラ砂漠、東アフリカの一部の半砂漠地帯に、アラブ、ベルベル、ソマリなどがラクダを、サバンナ地域ではマサイ、トゥルカナ、ポコット、フラニなどがウシおよびそれに付属してヤギ、ヒツジを飼育している。彼らは農耕民との交易により穀物を手に入れるが、経済の基盤は家畜からとれる乳、肉、血である。とくに乳は重要視され、数日間放置してから酸乳にする。また血液は5倍の乳と混ぜて飲用にする。ウシやラクダはめったなことでは殺さない。肉を食べるときはヤギかヒツジが主であり、ウシやラクダはいけにえにするときに殺されるだけである。アフリカに限らず牧畜民に共通していえることは、手に入れた動物は徹底的に利用することで、肉を食べるだけでなく内臓を利用して腸詰めの類をつくったり、食べられない骨の部分で道具をつくったり、皮で袋類やテントをつくる。つまり、牧畜民にとって家畜は彼らの生活全体を支えるたいせつな資産なのである。南アメリカのアンデス高地では、おもにラクダ科のラマやアルパカ、モルモットの一種のクイが飼育されている。ラマやアルパカは月に一頭ぐらいの割合で殺し、ジャガイモといっしょに煮るか骨付きのまま焼いて食べる。また一度に食べきれない分は、塩をかけて天日で乾燥させて「チャルキ」とよばれる干し肉にする。クイは屋内で飼育される動物だが、祭りや客人のもてなしのときによく使われる。内臓を除いた肉は香料を加えて油で揚げたり、かまどの火で焼いて食べる。
ユーラシア大陸を中心に広がる遊牧民の社会では、まず北アフリカからアラブ地域でラクダが、イランやアフガニスタンではヒツジやヤギ、トルキスタンでウシ、チベットやヒマラヤの高地でヤク、モンゴルでウマが飼育されている。これらの地域の人々の主たる料理は「カバーブ」とよばれている。これは肉の串(くし)焼き、もしくは鍋(なべ)で脂肪とともに肉を炒(いた)めた料理である。
[木内裕子]
食習慣と肉
文明の発達は、人類の食習慣に多大な影響を与えてきた。生業の種類に基づいて積み重ねられた人々の嗜好(しこう)は、ある文化に固有の食習慣を生み出してきた。たとえば、現代の日本では、ウシやブタ、ニワトリ、クジラの肉は価値が高いが、ウマやイヌの肉は客人に出すことはあまりない。中国では、ブタやヒツジ、ニワトリが主で、ウシは比較的劣等な肉で値段も安い。イヌは、古書のなかでは六畜の一つとされているが、いちばん劣等な肉とされ、時代とともに食される範囲も限定されるようになり、いまでは広東(カントン)や広西などの南部に限られている。
ヨーロッパでは、元来肉専用の家畜はブタとヒツジであった。ウシは農耕用の駄獣であり、牛肉や牛乳を生産することを主眼としてウシを飼育するようになったのはごく最近のことである。このように、食習慣は合理的な理由があるというよりは、人々の長年の無意識な嗜好の結果といえる部分が大きい。
ところが、人々の食習慣を人工的に規制した最大のものに宗教がある。たとえば、インドを中心に多くの信者をもつヒンドゥー教の場合、その経典である『マヌ法典』の第48条には不殺生の教えが説かれている。高位のカーストの者ほど肉食をせず、菜食主義を守る傾向が強い。一般にヒンドゥー教徒は牛肉を忌避するといわれているが、牛肉のタブーは『マヌ法典』には見当たらない。しかし、ウシが労役用および乳製品の供給者として、母およびシバ神のシンボルとされたことが、ウシのと畜を神殺しにつながるものとしてタブー視する根拠となったと考えられる。
イスラム教ではブタは『コーラン』にもあるように食べることはタブーである。さらに、イスラム教徒が好む羊肉でも、だれがどのような方法で殺したかによって食べられなくなるときもある。自分の属する派と異なる派の者の殺した肉は食べられないし、「アラーの御名においてアラーは偉大なり」と唱えながら刃物で頸(けい)動脈とのど笛を切開したものだけが正式にと畜された肉と規定されている。イスラム教徒の間では、可食な肉の種類、殺し手や殺し方の規定が、他派に対する自派、および非イスラム教徒に対するイスラム教徒としてのアイデンティティの基礎となる。また、遊牧民のイスラム教徒の間では、肉で客人をもてなすことはホストの寛大さを示す指標となる。もし客人がそれを辞するときには、「アラーに誓ってあなたが私のために肉を屠(ほふ)るならば、私は私の年老いた妻を離縁するだろう」とまでいわなくてはならない。このことばからも、肉が遊牧民にとっていかに貴重かうかがい知ることができる。
[木内裕子]
日本における肉食
日本人は、仏教国であった関係上、肉食はタブーであったと考えがちであるが、本来仏教はかならずしも肉食を禁じていたわけではない。もちろん仏教には不殺生戒が存在しているが、僧侶(そうりょ)が托鉢(たくはつ)に出て信者から肉をもらい受けた場合、けっしてそれを拒否してはならなかった。また彼らは、生き物が自分のために殺されたことを見たり聞いたり、またその疑いが濃厚な場合のみ厳しく肉食を断ったのである。現在でも上座部仏教では基本的にはこのスタイルであるが、日本や中国、朝鮮に伝わった大乗仏教圏ではいつしか僧侶は絶対肉を食べてはならないことになった。
日本では、6世紀に仏教が伝来し、天武(てんむ)天皇(在位673~686)の時代にウシ、ウマ、イヌ、サル、ニワトリの肉を食べることが禁じられ、次に聖武(しょうむ)天皇のときには家畜のと畜を禁じ、違反者は処罰されることとなった。ニワトリは愛玩(あいがん)用や闘鶏用と称して後の時代にも食べ続けられ、またイノシシやシカも食べたようだが、他の大形の家畜については、しだいに食べなくなった。しかし、日本人が肉食をしなかったのは、単に仏教の影響だけではなく、本来日本の自然環境として動物タンパクは魚貝類でまかなうことができ、山奥へ入って危険を冒して動物を狩猟する必要がなかったことを考慮する必要がある。仏教導入以前の神道(しんとう)においても、儀式の供え物は魚と野菜と鳥がよく用いられ、四つ足動物はほとんど使われなかった。日本人が公然と肉食を始めたのは幕末から明治初めのことである。当時の西洋通の人々は、肉食が西洋人の優越の源と考えた。初めに流行したのは牛鍋(ぎゅうなべ)で、これはそれまでの膳(ぜん)による食事形式から、鍋の中のものを好きなだけ各自自由にとるという新しい食事形式を生み出すことになった。そして牛肉の流行に続いてブタなど他の肉も食べられるようになり、洋食が日本人の食生活のなかに浸透していった。
[木内裕子]
『鯖田豊之編『週刊朝日百科世界の食べもの 124号 肉食の文化』(1983・朝日新聞社)』▽『筑波常治著『米食・肉食の文明』(NHKブックス)』▽『中尾佐助著『料理の起源』(NHKブックス)』