フランシュ・コンテ(読み)フランシュコンテ(英語表記)Franche-Comté

百科事典マイペディア 「フランシュ・コンテ」の意味・わかりやすい解説

フランシュ・コンテ

フランス東部の旧州名,および現在の行政地域圏では,ほぼ同域のドゥー県,ジュラ県,オート・ソーヌ県,ベルフォール地区を指す。中心都市はブザンソン。北はボージュ山地の南西斜面から,南はジュラ山脈の北西斜面までの高原を中心とする。二つの山地に挟まれたベルフォール狭隘部は,古代・中世以来の侵略・通商の要路。西にはソーヌ川,ドゥー川が流れるソーヌ平野の一部が広がり,東にはスイスと国境を隔てるジュラ山脈をひかえる。森林地帯が多い。開発のやや遅れた農村地域で,大量の人口流出をみた。高原地帯は酪農が盛んで,コンテチーズは有名。南西部ではブドウ酒醸造が行われる。第2次大戦後,工業化がすすみ,ブザンソン,モンベリアール,ベルフォールを中心に,自動車・機械・金属・木工・鋳造などの工業が発達。とくにソショーのプジョー自動車工場,ベルフォールのTGV用部品製造は有名。紀元前にケルト系民族が住んでいたが,カエサルによって占領ブルグント王国フランク王国の支配を受け,11世紀前半にブルゴーニュ伯領として形成。ブルゴーニュ公国に統合(1384年)後,スペイン王領を経て,フランス王国に吸収(1678年)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランシュ・コンテ」の意味・わかりやすい解説

フランシュ・コンテ
ふらんしゅこんて
Franche-Comté

フランス東部の歴史的地域名、旧州名。中心都市ブザンソン。現在も行政地域名として用いられ、オート・ソーヌ、ドゥー、ジュラの3県の範囲に相当する。面積1万6202平方キロメートル、人口111万7059(1999)。セーヌ川ソーヌ川、ドゥー川上流の高地地方で、ジュラ山脈を境としてスイスと接する。ケルト時代にスクァニイ人が居住していたが、ローマの支配下に入り、ついでゲルマン民族移動の影響を受け、ブルグント王国、さらにフランク王国に吸収された。9世紀にブルゴーニュ公の管理するブルゴーニュ伯領となり、915年、ブルゴーニュ公の二男ユーグ・ル・ノアールHugues le Noir以来、ブルゴーニュ伯家が当地方を領有した。名称は、公家に対する上納金を「免除された伯領」の意味で、14世紀に文書に現れる。1477年ハプスブルク家領となり、1548年スペイン王領に継承された。フランスは三十年戦争期の10年間(1635~44)、フランドル戦争(1668)、オランダ戦争(1674)の3回にわたって占領し、1678年のナイメーヘンの和約によって、最終的にその領土に吸収された。この地方は山林地方で、中世以来、製材、家具製造と酪農を主産業とし、岩塩特産とするが、近代に入って精密機械工業、19世紀末からはプジョーの自動車工業がおこった。

[千葉治男]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フランシュ・コンテ」の解説

フランシュ・コンテ
Franche-Comté

フランス東部の州。中世末ハプスブルク家所領となりスペイン・ハプスブルク家がこれを相続したが,16世紀以後,フランスの侵攻を受け,1678年オランダ戦争の結果フランス領に併合された。

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