百科事典マイペディア 「パノフスキー」の意味・わかりやすい解説
パノフスキー
→関連項目ウィント|ゴシック美術|ザクスル|パンドラ
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ドイツ生まれの美術史学者。ベルリン、ミュンヘン、フライブルクなどの大学で学び、ハンブルク大学教授になったが、1934年ナチスの時代にアメリカに移住。ニューヨーク大学、プリンストン大学、ハーバード大学などで教授を務めた。おもに中世およびルネサンスの美術を扱って古典的主題の表現について研究し、美術作品における主題と意味の関連を、イコノグラフィー(図像学)からイコノロジー(図像解釈学)へと高める方法論を確立した。著書は多くあるが、邦訳されているおもなものに『イコノロジー研究』(1939)、『視覚芸術の意味』(1957)、『ルネサンスの春』(1960)などがある。
[鹿島 享]
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…ウォリンガーなど,ドイツの史家がこの伝統に属する。しかし,この伝統を受けつぎながらも,芸術様式を思想・精神様式との関連のもとに考察したのは,パノフスキーである。彼はゴシック教会堂のプランと建築構造が,ゴシック時代のスコラ学の哲学体系に一致することを論証した。…
…しいて要約すれば,第1の型は死後の再生によって死の恐怖から逃れようとするもの,第2の型は,名声と記憶によりこの地上に生命を長からしめんとするものである。パノフスキーは前者を〈死後志向型〉,後者を〈生志向型〉と呼ぶが,究極においては,ともに,いかに人類が死と和解しようとしてきたかを表しているといえよう。
[生と死の対面]
第3の型は,このいずれとも異なり,生の最中にこれを脅かし,破壊する恐るべき死神としての〈死〉の表現である。…
… 現代の図像学の発端は,一般にA.ワールブルクが1912年に発表した15世紀イタリアの月暦画についての研究報告に認められている。ハンブルクに起こり,後にロンドンに移った彼の学派(ワールブルク研究所)から,優れた研究者が多数出たが(ゴンブリッチ,ザクスルF.Saxlなど),第2次大戦後の学界に決定的影響を与えたのはパノフスキーである。彼はカッシーラーの象徴形式の哲学に多大の影響を受け,普遍的な図像解釈の方法を提案,実践した(《イコノロジー研究》1939)。…
※「パノフスキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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線状に延びる降水帯。積乱雲が次々と発生し、強雨をもたらす。規模は、幅20~50キロメートル、長さ50~300キロメートルに及ぶ。台風に伴って発達した積乱雲が螺旋らせん状に分布する、アウターバンドが線状...