パノフスキー

百科事典マイペディア 「パノフスキー」の意味・わかりやすい解説

パノフスキー

ドイツ出身,米国のユダヤ系美術史家。ハノーファー生れ。ベルリン,ミュンヘンなどに学び,ハンブルク,ミュンヘン,ニューヨークの各大学で教えた。ハンブルク時代にA.ワールブルクと出会い,その文庫の活動に協力してワールブルク学派の形成に寄与した。弟子にE.ウィントがいる。1935年プリンストン高等研究所に迎えられ,以後ここで多彩な研究活動を展開した。イコノロジーの方法論を確立,中世,ルネサンスにおける図像解釈に多大の業績を残した。主著に《イコノロジー研究》(1939年),《アルブレヒト・デューラー》(1943年),《初期ネーデルラント絵画》(1953年)などがある。
→関連項目ウィントゴシック美術ザクスルパンドラ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パノフスキー」の意味・わかりやすい解説

パノフスキー
Panofsky, Erwin

[生]1892.3.30. ハノーバー
[没]1968.3.14. プリンストン
ドイツ生れのアメリカの美術史学者。 1921年ハンブルク大学講師,26年同大学教授,31年ニューヨーク大学客員教授,33年ナチスに追われてアメリカに亡命,35~62年プリンストン大学高等研究所教授。最初は様式の研究から出発したが,のちイコノグラフィー (図像学) iconographyに対してイコノロジー (図像解釈学) iconologyを提唱し,その方法論を確立。主著『イコノロジー研究』 Studies in Iconology (1939) ,『視覚芸術の意味』 Meaning in the Visual Arts (55) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パノフスキー」の意味・わかりやすい解説

パノフスキー
ぱのふすきー
Erwin Panofsky
(1892―1968)

ドイツ生まれの美術史学者。ベルリン、ミュンヘン、フライブルクなどの大学で学び、ハンブルク大学教授になったが、1934年ナチスの時代にアメリカに移住。ニューヨーク大学、プリンストン大学、ハーバード大学などで教授を務めた。おもに中世およびルネサンスの美術を扱って古典的主題の表現について研究し、美術作品における主題と意味の関連を、イコノグラフィー(図像学)からイコノロジー(図像解釈学)へと高める方法論を確立した。著書は多くあるが、邦訳されているおもなものに『イコノロジー研究』(1939)、『視覚芸術の意味』(1957)、『ルネサンスの春』(1960)などがある。

[鹿島 享]

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精選版 日本国語大辞典 「パノフスキー」の意味・読み・例文・類語

パノフスキー

(Erwin Panofsky エルウィン━) ドイツの美術史学者。ハンブルク大学教授を経て、アメリカに移住。中世・ルネサンス美術研究を中心にイコノロジーの方法を確立、第二次大戦後の美術史学に大きな影響を与えた。(一八九二‐一九六八

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デジタル大辞泉 「パノフスキー」の意味・読み・例文・類語

パノフスキー(Erwin Panofsky)

[1892~1968]ドイツ生まれの美術史家。ナチス政権成立後は米国で活躍。イコノロジー(図像解釈学)の方法を確立した。著「イコノロジー研究」など。

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世界大百科事典 第2版 「パノフスキー」の意味・わかりやすい解説

パノフスキー【Erwin Panofsky】

1892‐1968
ドイツの美術史家。ハノーファー生れ。1926‐33年ハンブルク大学教授。この間ワールブルク研究所の創始者A.ワールブルクらと接する。ユダヤ系のゆえにナチスに追放され33年渡米し,35年よりプリンストン高等研究所教授をつとめた。とくに〈アイコノロジーiconology(イコノロジー)〉(図像学)の創始者として知られるが(《イコノロジー研究》1939),《デューラーの美術理論》(1915),《デューラー》(1943),《初期ネーデルラント絵画》(1953),《サン・ドニ修道院長シュジェール》(1946)等に見られる該博知見と精緻な考証は,彼が単なる理論的思索家ではなく抜群の史眼を備えた美術史家であり,安易な着想や過剰解釈に陥りがちな亜流の図像解釈学者とは截然たる一線を画していたことを証する。

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世界大百科事典内のパノフスキーの言及

【ゴシック】より

…ウォリンガーなど,ドイツの史家がこの伝統に属する。しかし,この伝統を受けつぎながらも,芸術様式を思想・精神様式との関連のもとに考察したのは,パノフスキーである。彼はゴシック教会堂のプランと建築構造が,ゴシック時代のスコラ学の哲学体系に一致することを論証した。…

【死】より

…しいて要約すれば,第1の型は死後の再生によって死の恐怖から逃れようとするもの,第2の型は,名声と記憶によりこの地上に生命を長からしめんとするものである。パノフスキーは前者を〈死後志向型〉,後者を〈生志向型〉と呼ぶが,究極においては,ともに,いかに人類が死と和解しようとしてきたかを表しているといえよう。
[生と死の対面]
 第3の型は,このいずれとも異なり,生の最中にこれを脅かし,破壊する恐るべき死神としての〈死〉の表現である。…

【図像学】より

… 現代の図像学の発端は,一般にA.ワールブルクが1912年に発表した15世紀イタリアの月暦画についての研究報告に認められている。ハンブルクに起こり,後にロンドンに移った彼の学派(ワールブルク研究所)から,優れた研究者が多数出たが(ゴンブリッチ,ザクスルF.Saxlなど),第2次大戦後の学界に決定的影響を与えたのはパノフスキーである。彼はカッシーラーの象徴形式の哲学に多大の影響を受け,普遍的な図像解釈の方法を提案,実践した(《イコノロジー研究》1939)。…

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