パウンド(英語表記)Roscoe Pound

デジタル大辞泉 「パウンド」の意味・読み・例文・類語

パウンド(Ezra Pound)

[1885~1972]米国の詩人。欧州各地を遍歴、自由詩運動を推進し、現代文学に大きな影響を与えた。連作長編詩「キャントーズ」など。

パウンド(Roscoe Pound)

[1870~1964]米国の法学者。プラグマティズムの立場から、法を相対立する諸利益の調整によって社会を統制する技術体系であると主張した。著「コモン‐ローの精神」「法哲学入門」など。

パウンド(pound)

ポンド

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「パウンド」の意味・読み・例文・類語

パウンド

(Roscoe Pound ロスコー━) アメリカの法学者。自然科学・社会科学・プラグマティズムを基礎とする法律哲学をうちたてた。主著コモンローの精神」。(一八七〇‐一九六四

パウンド

〘名〙 ⇒ポンド

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「パウンド」の意味・わかりやすい解説

パウンド
Roscoe Pound
生没年:1870-1964

アメリカの法学者。プラグマティズム哲学の影響を受け,法を社会技術としてとらえる法理論を提唱した。ハーバード大学に学び,弁護士実務に従事しつつネブラスカシカゴ大学等で教鞭をとり,1910年よりハーバード大学教授。法を目的のための手段とする視点から,法学はたんに条文や判例の研究だけでなく,社会に存在するさまざまな利益を認識し,それを一定の基準に基づいて取捨する社会工学social engineeringであるべきだとし,社会学的法学sociological jurisprudenceを提唱した。また,ヨーロッパの法学や法史についての該博な知識をもとに,法史を動態期と静態期の交替としてとらえる法史観を提唱,19世紀の静態期を経て,20世紀は法の動態期であるとした。これらの見地から,20世紀の新たな事態に適応するために伝統的法原則を再検討すべきだとした。〈法は安定的でなければならないが,しかし静止は不可能だ〉という基本思想のもとで,柔軟な法運用を主張したが,法的安定性を神話として否定するネオ・リアリズムの過激な実定法批判には批判的で,それを〈努力放棄の哲学〉と呼んでその主張者と論争した。日本にも広く紹介され,著書の邦訳も多い。著書は《法哲学入門》(1922),《コモン・ローの精神》など多数。
執筆者:

パウンド
Ezra Weston Loomis Pound
生没年:1885-1972

アメリカの詩人。アイダホ州生れ。1908年にロンドンに渡り,先輩詩人のW.B.イェーツやT.E.ヒュームと交わり,英詩の変革を目ざしてイマジズムボーティシズムの運動を起こした。しかしイギリスの文壇にいれられず,詩集《ヒュー・セルウィン・モーバリー》(1920)を残して同地を去った。パリ時代には,J.ジョイスの出版を助けたり,T.S.エリオットヘミングウェーの作品を指導したが,24年以降はイタリアに移り,叙事詩詩編The Cantos》(1930-69)の完成と,社会・経済問題に没頭した。第2次大戦中の反米ローマ放送のため,45年に逮捕されてピサに監禁されたのち,本国に送還されて〈精神異常〉のレッテルをはられ,13年間もワシントンのエリザベス病院に収容された。その間に《ピサ詩編》(1948)で初のボーリンゲン賞を受け,国内で物議をかもした。58年に釈放後はイタリアに帰り,87歳の誕生日の数日後にベネチアで世を去った。エリオットから〈われよりすぐれたる詩人〉と名づけられたパウンドの詩,とくに《詩編》は,難解で未完成のところもあるが,利子制度を文化堕落尺度としてみた一大叙事詩の意義を備えている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「パウンド」の意味・わかりやすい解説

パウンド

米国の詩人。若くして西欧諸国を移り住み,《消えた微笑》(1908年)以降,豊かな文学的教養を駆使した詩集を次々と発表。またイマジズム等の前衛的な詩運動を推進,《ポエトリー》誌を編集して,T.S.エリオットジョイスヘミングウェーらを育てる。第2次大戦中イタリアで海外宣伝放送に携わり,戦後反逆罪に問われたが,精神異常を理由に無罪となる。代表作は詩集《ヒュー・セルウィン・モーバリー》(1920年)と未完の叙事詩《詩編The Cantos》(1930年―1969年)の連作。また中国古典や日本の謡曲・漢詩の紹介をも行った。
→関連項目オデュッセイア平田禿木ルイスローエル

パウンド

米国の法学者。弁護士・判事を経て,ハーバード大学教授。プラグマティズムの立場から法を社会学的にとらえ,社会工学としての法学を主張するとともに,他方で理想主義の立場から法の社会的目的を明らかにすることに努めた。主著《コモン・ローの精神》《法と道徳》《法学》。→プラグマティズム法学
→関連項目カードーゾー

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パウンド」の意味・わかりやすい解説

パウンド
Pound, Ezra (Loomis)

[生]1885.10.30. アメリカ,アイダホ,ヘーリー
[没]1972.11.1. イタリア,ベネチア
アメリカの詩人。ペンシルバニア大学,ハミルトン・カレッジに学んだのち,1908年以来ロンドン,パリ,イタリアで典型的な国籍離脱者として生活しながら,イマジズム運動その他の新詩運動の中心となり,ジョイス,T.S.エリオット,ヘミングウェーらに大きな影響を与えた。プロバンスの詩やイタリア詩についての博大な知識を背景にした作品が多い。代表作『クイア・パウペル・アマビ』 Quia Pauper Amavi (1919) ,『ヒュー・セルウィン・モーバリー』 Hugh Selwyn Mauberley (20) ,長大な連作『詩篇』 The Cantos (117編) など。日本の俳句や謡曲,中国の『詩経』や孔子の翻訳もある。第2次世界大戦中ファシスト側の宣伝放送に協力,戦後反逆罪で告発されたが,精神異常と認定され 12年間を病院で過した。

パウンド
Pound, Roscoe

[生]1870.10.27. ネブラスカ,リンカーン
[没]1964.7.1. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの法学者,司法行政改革の指導者。初めネブラスカ大学で植物学を専攻,のちハーバード大学で法律を学び,弁護士を開業。 1897年にネブラスカ大学から植物学で学位を贈られたが,その間に,菌類の新種 (彼の名にちなみ Roscopoundiaと名づけられた) を発見している。ネブラスカ,ノースウェスタン,シカゴの各大学教授を経て,1910年ハーバード大学法哲学教授,16年同学部長,46年中華民国司法省顧問として台湾に渡り,その法制再編に協力した。プラグマティズムを基調として社会学的法律学を提唱。著書は二百数十冊を数えるが,ことに『コモン・ローの精神』 The Spirit of the Common Law (1921) は,アメリカ法を形成した社会的,思想的な背景を分析した名著とされる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のパウンドの言及

【アメリカ文学】より

…ニューイングランドの自然と,その自然に対峙する人間の姿を描いたフロストや,長編詩によって人間の激情を示すのを得意としたカリフォルニアのジェファーズも注目に値する。しかし20世紀アメリカ詩で最も注意すべき文学運動は,1910年代E.パウンドによって提唱されたイマジズムおよびボーティシズムの流れであろう。その主張は,描写を排除し,イメージ対イメージによる緊張関係から生じるエネルギーを重視せよ,ということであった。…

【荒地】より

…イギリスの詩人T.S.エリオットの詩。1921年秋,神経の変調を治すため滞在していたローザンヌで書かれた初稿が,エズラ・パウンド(献辞の〈私にまさる工匠〉)の意見に従って,ほぼ半分の長さに縮められ,22年10月雑誌《クライティリオン》創刊号に発表。同年アメリカで,自注をつけて単行本として出版された。…

【イェーツ】より

…《緑の兜》(1910)から《クールの白鳥》(1917)にいたる詩集は,愛,老年,死,詩の個人的主題を社会的・神話的主題と自在にからませて個性的な声調でうたう現代詩人の出現を示している。劇作家としても,秘書役のエズラ・パウンドが入手したフェノロサ訳の《能》に触発されて,《鷹の井戸》(1916初演)など4編の舞踊劇を連作,新たな展開を見せた。詩,音楽,舞踊が一体化した象徴的演劇への長年の夢が東洋古典劇のなかにみごとに実現されているのを知ったイェーツの驚きと喜びは大きかった(《鷹の井戸》は日本で新作能《鷹姫》として翻案・上演されている)。…

【イマジズム】より

…1910年代,エズラ・パウンド主唱の下に起こった英米の自由詩運動。1909年3月,反ロマン主義の詩論家T.E.ヒュームは,〈詩人クラブ〉を脱会して,仲間の詩人たちと毎週,ロンドン市内のソーホー地区の安レストランに集まり,フランスの象徴詩や日本の俳句にヒントをえて,イメージを重んじた自由詩の実験を試みた。…

【日本研究】より

…その後,日本の神秘性や不可思議さにとらわれすぎているとしてローエルに反論した研究に,進化論の立場から近代日本の社会制度を解明しようとしたS.L.ギューリックの《日本人の進化》(1903)と,ローエルに〈承服しかねる〉ものを見いだした晩年のハーンの《神国日本》(1904)がある。また建築,芸術の分野における草分け的研究としては,日本の民家を詳しく紹介したE.S.モースの《日本のすまいとその周囲》(1886)や,E.F.フェノロサの遺作《東亜美術史綱》(1912)と,詩人E.パウンドが発表したフェノロサの漢詩と能楽の研究も重要である。 ボストン美術館東洋部部長を務めた岡倉天心,イェール大学の朝河貫一(1873‐1948),コロンビア大学の角田(つのだ)柳作(1877‐1964)など,アメリカにおける日本研究に尽力した日本人の役割も見逃してはならない。…

【ボーティシズム】より

…1914年,P.W.ルイスを中心とする〈反逆芸術センター〉のグループによる〈ボーティシズム宣言〉が《ブラストBlast》誌に発表された。〈ボーティシズム〉の名称は詩人E.パウンドによる。運動参加者はルイス,パウンドのほか,画家のウォッズワースEdward Alexander Wadsworth(1889‐1949),ロバーツWilliam Roberts(1895‐1980),アトキンスンLaurence Atkinson(1873‐1931),彫刻家のJ.エプスタインらで,彼らは未来派の運動感,キュビスムの幾何学的造形に学ぶと同時に,前者の印象主義的性格,後者の古典主義志向を排し,抽象性の強い造形を開拓した。…

【社会学的法学】より

…この意味では,20世紀初頭のドイツにおいてE.エールリヒやH.カントロビチに代表される自由法論やさらにP.ヘックを主唱者とする利益法学なども〈社会学的法学〉に含まれる。これに対して,狭義の社会学的法学は19世紀末のアメリカにおけるプラグマティズムの哲学運動を背景とし,O.W.ホームズ,B.N.カードーゾーを先駆者としてR.パウンドによって理論的表現を与えられた法学的立場を指す。パウンドは法学の中心的概念として社会的必要・社会的利益を主張し,法学はこうした社会的必要と諸利益の調整のための技術であるとした。…

※「パウンド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」