日本大百科全書(ニッポニカ) 「バドミントン」の意味・わかりやすい解説
バドミントン
ばどみんとん
badminton
重さ約90グラムのラケットを使って、重さ約5グラムのシャトル(羽根)をネット越しに打ち合うスポーツ。そのシャトルの特性から、レクリエーション的に行うと、老若男女が一緒に楽しめる身近なスポーツとなる。しかし、競技選手が行うと、選手の動きやシャトルのスピード、また、そのハードな運動量から、過酷なスポーツとなる。
[今井茂満 2019年8月20日]
歴史
バドミントン競技の起源は、イギリスに古くから伝わるバトルドー・アンド・シャトルコックBattledore and Shuttlecockという羽根突き遊びである。もともとは木の実に鳥の羽根を刺したものを木の板で打ち合う遊びであったが、少しずつ進化して、ラケットは動物の皮をラケット・フェースに張ったものが使われるようになり、シャトルコックはコルクに鳥の羽根を取りつけたものになった。
19世紀の中ごろには、この遊びがイギリスのバドミントン村にあるボーフォート公爵家の邸宅(バドミントン・ハウスとよばれていた)の大広間で盛んに行われるようになっていた。最初は一人で、または二人での打ち合いを楽しんでいたが、しだいに勝ち負けを争うものになっていき、さまざまなルールが決められるようになった。やがて各地で行われるようになり、ルールもくふうされていった。当初、この競技には確たる名前がなかったが、バドミントン・ハウスでのバトルドー・アンド・シャトルコック遊びが始まりであったことから、1870年代にバドミントンという名称が定着したと考えられている。
その後1880年代にかけて、乱立するローカル・ルールを統一する動きが生まれ、1893年、イギリスのサウスシー・クラブのドルビー大佐Colonel S. S. C. Dolbyによって最初のバドミントン協会が誕生し、統一ルールが制定された。
1899年にはロンドンで第1回全英選手権が開催され、男子・女子のダブルスと混合ダブルスの3種目が行われた。翌1900年からは、男子・女子のシングルスが加えられて5種目となり、現在に至っている。
その後、バドミントン競技は世界中に広がっていった。1934年にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、デンマーク、フランス、オランダ、カナダ、ニュージーランドの9か国・地域で国際バドミントン連盟(IBF:International Badminton Federation)が設立された。その後2006年に世界バドミントン連盟(BWF:Badminton World Federation)に名称変更した。
BWFが主催しているおもな世界選手権には、団体戦として、男子の国別対抗戦であるトマスカップ(1948~ )、女子の国別対抗戦であるユーバーカップ(1956~ )、男女混合の国別対抗戦であるスディルマンカップ(1989~ )の三つがある。また、個人戦として、世界個人選手権(1977~ )がある。オリンピックでは1992年のバルセロナ大会から正式競技となっている。
バドミントン競技が日本に伝えられたのは、1921年(大正10)ころのことと考えられている。横浜YMCAの名誉主事・スネードS. Snadeがアメリカへ休暇で帰省し、その際にアメリカYMCAより寄贈されたバドミントン用具を、横浜YMCAの体育主事・広田兼敏(ひろたかねとし)に渡した。広田は欧米人運営のスポーツクラブを訪ね、バドミントンの手ほどきを受けたといわれる。1933年(昭和8)に横浜YMCAは体育活動にバドミントンを取り入れ、翌1934年には日本で最初の市民大会が横浜の屋外コートで開催された。
1946年(昭和21)に日本バドミントン協会(Nippon Badminton Association)が設立され、1952年にIBFに加盟した。1954年には男子チームが男子国別対抗戦である第3回トマスカップアジア地区予選に出場し、世界の檜(ひのき)舞台に立った。その後、多くの日本人選手が国際大会へ参加するようになり、1966年には秋山真男(まさお)(1943―2003)が全英選手権の男子シングルスで準優勝、同年に女子チームが女子国別対抗戦であるユーバーカップにおいて初出場で優勝した。女子チームはその後も優勝を重ね、2018年(平成30)には通算6度目の優勝を果たした。一方、男子チームも2014年に念願のトマスカップ初優勝を遂げた。また、1989年(平成1)に始まった男女混合の国別対抗戦であるスディルマンカップにおいても2015年には過去最高の準優勝を果たし、その後2019年(令和1)、2021年と連続して準優勝している。
近年、日本選手の国際競技力は男女ともに飛躍的に向上した。オリンピックにおいては、2012年のロンドン大会女子ダブルスで藤井瑞希(ふじいみずき)(1988― )、垣岩令佳(かきいわれいか)(1989― )ペアが銀メダルを獲得した。これは日本人として初めてのメダルであった。また、2016年のリオ・デ・ジャネイロ大会では女子ダブルスで高橋礼華(たかはしあやか)(1990― )、松友美佐紀(まつともみさき)(1992― )ペアが金メダル、女子シングルスでは奥原希望(おくはらのぞみ)(1995― )が銅メダルを獲得した。世界選手権でも2017年には奥原希望が女子シングルスで、2018年と2019年には桃田賢斗(ももたけんと)(1994― )が男子シングルスで優勝。さらに2021年には女子シングルスで山口茜(やまぐちあかね)(1997― )が優勝した。
一方、世界的な勢力図としては、東アジア優勢の状況は変わらない。しかしながら、中国が圧倒的な強さをみせ、インドネシア、韓国、マレーシアがそれに追随するという形は崩れてきた。その先頭に立ったのが日本である。さらに、インド、タイ、台湾といった国からも世界のトップをねらえる選手が台頭してきた。一方、ヨーロッパ勢の劣勢は続いている。デンマークやスペイン、イングランド等の選手が単発的に活躍する姿はみられるものの、すべての種目の世界ランキングトップテンはそのほとんどがアジアの選手で占められている。また、アジア、ヨーロッパに対するその他の大陸の実力や普及度の差はさらに顕著で、それらの国々への強化・普及はオリンピック種目としての生き残りをかける意味でもBWFの課題となっている。
2021年に開催されたオリンピック・東京大会ではシングルス(男子/女子)、ダブルス(男子/女子/混合)が実施され、混合ダブルスで渡辺勇大(わたなべゆうた)(1997― )、東野有紗(ひがしのありさ)(1996― )ペアが銀メダルを獲得した。
[蘭 和真 2021年2月18日]
設備と用具
競技場については、シャトルが風の影響を受けやすいことから、大会に使用する会場は屋内で、競技中は風を遮断しなければならないと規定されている。また、天井の高さはコート面より12メートル以上で、競技区域はコートの外側四周にそれぞれ2メートル以上の余裕がなければならない。コートの広さは、ダブルスで、13.40メートル×6.10メートル、シングルスで、13.40メートル×5.18メートルである。コート面からのネットの高さは、中央で1.524メートル、ダブルスのサイドライン上では1.55メートルである。シャトルは天然素材の羽根とプラスチックなどの合成素材の両者を組み合わせるか、いずれか一方からつくることができる。ただし、どの素材でつくられたものでも、コルクの台を薄い皮で覆ったものに天然の羽根をつけたシャトルと同様の飛行の特性がなくてはならない。天然の羽根をつけたシャトルの羽根の枚数は16枚と決められている。ガチョウの羽根でつくられているものが一般的であるが、アヒルの羽根も使われる。ラケットは、フレームの全長で680ミリメートル以内、幅は230ミリメートル以内とされている。重さについては規定はないが、一般的に使われているものは90グラム程度の重さである。近年、ラケットの素材には一般的にカーボンやチタンが使われている。ストリングス(張り糸)は、以前は羊の腸からつくられたナチュラル・ガットとよばれるものもあったが、現在ではナイロン等の人工素材でつくられたものがほとんどである。また、ストリングスの直径は0.70ミリメートル以下のものが主流となっており、細くなればなるほど反発力は高まるが、切れやすくなるのが普通である。
[今井茂満 2019年8月20日]
競技方法
バドミントン競技の種目には男子シングルス、男子ダブルス、女子シングルス、女子ダブルス、混合ダブルスの5種目がある。試合はサービスで開始されるが、サービスのときの打点はシャトル全体がかならずコート面から1.15メートル以下でなければならない。したがって、サービング・サイドがラリーを始める際には不利となる。
試合ではラリーに勝ったサイドが1点を得る。すなわち、相手サイドがフォルト(反則)をするか、または、シャトルが相手コート内に落ちてインプレー(試合続行中)でなくなった場合である。そして、21点先取したサイドがそのゲームの勝者となる。ただし、20点オール(同点)になった場合は、その後2点リードしたサイドがそのゲームの勝者となる。しかし、決着がつかないままスコアが29点オールになった場合には、30点目を得点したサイドがそのゲームでの勝者となる。そして、3ゲームのうち2ゲームを先取したサイドが試合の勝者となる。試合中の休憩については、一方のサイドのスコアが11点になったときに60秒を超えないインターバル(中休み)が認められている。また、第1ゲームと第2ゲームの間、第2ゲームと第3ゲームの間に120秒を超えないインターバルが認められている。
バドミントン競技では、シャトルがネットに当たっても、相手コートの正しいエリアに入れば、サービスでもその後のラリーでもフォルトにはならない。また、ダブルスでは、二人が交互にシャトルを打たなければならないというルールはない。
[今井茂満・蘭 和真 2019年8月20日]
パラバドミントン
パラバドミントンとは、広く障がいをもつアスリートのためにつくられたルール等のもとに行われるバドミントンのことである。パラバドミントンはイギリスを中心にレクリエーションやリハビリテーションを目的として行われてきたが、競技スポーツとしても発展した。当初は国際パラバドミントン連盟(PBWF:Para-Badminton World Federation)が競技母体であったが、2011年からはBWFに合流しその傘下となった。そこで、国際パラリンピック委員会(IPC:International Paralympic Committee)が国際競技団体と認めているBWFがパラバドミントンを統括しているということから、2020年のパラリンピック・東京大会(2021年開催)では正式種目に採用された。
パラバドミントンの競技種目には、男女シングルス、男女ダブルス、混合ダブルスの5種目がある。また、それぞれの種目には競技者の障がいの程度によって六つのクラスがある。この六つのクラスは車椅子(いす)の2クラスと立位の4クラスに分類される。車椅子の2クラスは、(1)両下肢および体感機能に障がいがある競技者(WH1)、(2)片方または両下肢に障がいがある競技者(WH2)に分けられる。立位の4クラスは、(1)バランス機能も含めて下肢障がいがある競技者(SL3)、(2)SL3より軽度の下肢障がいがある競技者(SL4)、(3)上肢障がいがある競技者(SU5)、(4)遺伝等由来の低身長症がある競技者(SS6)、に分けられる。
パラバドミントンの競技場はネットの高さをはじめとして健常者が使用するものと同じである。また、使用するラケットやシャトル、得点法についても同様である。フォルトについても基本的に大きな違いはない。ただし、クラスによっては使用されるコートの広さが通常のルールとは異なる。車椅子を使用するクラスであるWH1とWH2のシングルスではセンターラインを境界線としてダブルスコートの半分を使用する。そして、ショートサービスラインとネットの間に落ちたシャトルはアウトと判定される。また、ダブルスでは通常のコートを使用するが、シングルスと同様にショートサービスラインとネットの間に落ちたシャトルはアウトである。そして、WH1とWH2ではシャトルを打つ瞬間に胴体の一部が車椅子のシートと接していなければならないという特別なルールがある。立位のクラスでもSL3のシングルスではセンターラインを境界線としてダブルスコートの半分を使用する。SL3のダブルスおよびその他のクラスでは通常のコートが使用される。
パラリンピック・東京大会(2021年開催)ではシングルスWH1(男子/女子)、シングルスWH2(男子/女子)、シングルスSL3(男子)、シングルスSL4(男子/女子)、シングルスSU5(男子/女子)、シングルスSH6(男子)、ダブルスWH(男子/女子)、ダブルスSL/SU(女子/混合)の種目が実施された。これらのうち日本選手は、シングルスWH2で梶原大暉(かじわらだいき)(2001― )が金メダル、男子ダブルスWHで梶原大暉、村山浩(むらやまひろし)(1974― )ペアが銅メダル、女子シングルスWH1で里見紗李奈(さとみさりな)(1998― )が金メダル、女子シングルスWH2では山崎悠麻(やまざきゆま)(1988― )が銅メダル、女子シングルスSU5で鈴木亜弥子(すずきあやこ)(1987― )が銀メダル、杉野明子(すぎのあきこ)(1990― )が銅メダル、女子ダブルスWHで里見紗李奈、山崎悠麻ペアが金メダル、女子ダブルスSLで伊藤則子(いとうのりこ)(1976― )、鈴木亜弥子ペアが銅メダル、混合ダブルスSUで藤原大輔(ふじわらだいすけ)(1994― )、杉野明子ペアが銅メダルを獲得した。
BWFは老若男女の違いや障がいのあるなしに関係なく、バドミントンはみんなのものという方針をかかげ、パラバドミントンの世界的普及を目ざしている。
[蘭 和真 2022年2月18日]