ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
チョウセンニンジン(朝鮮人参)
チョウセンニンジン
Panax schinseng; ginseng
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…15歳で医学を学び,本草を阿部将翁(?‐1753)に学ぶ。早くからチョウセンニンジンに関心をもち,1737年(元文2)幕府から種子を下付され,栽培を試みる。63年(宝暦13)幕府の医官に任ぜられ,国産ニンジンの栽培,製薬に当たる。…
…そこで対馬藩では,私貿易経営に重点をおき,1683年(天和3)専任担当官として元方役(もとかたやく)10名を組織し,利潤の向上につとめた。貿易内容は,封進・公貿易が銅,スズ,コショウ,ミョウバン,蘇木,水牛角を定品として輸出していたのに対し,私貿易は,隆盛するにしたがって大量の銀が輸出され,代りに中国産の生糸(白糸),絹織物,チョウセンニンジンが輸入されるようになった。この中国産品は,朝鮮が毎年中国へ派遣する朝貢使節がもたらすもので,日本の銀(倭銀)はその対価として,朝鮮から中国へ再輸出された。…
…江戸幕府が薬用人参の売買統制のために設置した座。薬用人参は18世紀半ばまでは輸入がほとんどで,朝鮮人参と唐人参があった。朝鮮人参は対馬藩が独占的に輸入販売し,江戸屋敷での屋敷売りのほか,1673年(延宝1)人参座を設け座売りもした。18世紀以後の輸入不振によりやがて廃止。長崎の唐人参の輸入は17世紀後半に始まり,1735年(享保20)江戸長崎屋源右衛門に唐人参座が許可され,1860年(万延1)江戸長崎会所と改称されるまで存続。…
… また,従来無用とされていた植物でも,化学成分が明らかにされた結果,薬用植物の仲間入りをするものがある。例えばアマチャヅル(ウリ科)はオタネニンジン(チョウセンニンジン,ウコギ科)と同類の成分を含むことが判明し,茶剤として薬用製品化された。また類似した形態を有するヤブカラシ(ブドウ科)は,このアマチャヅルと誤認されやすいため偽物が出回っているという。…
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