日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
スミス(ロック・グループ)
すみす
Smiths
1980年代イギリスのインディー・ロック・シーンを代表するグループ。マンチェスターに生まれ、オスカー・ワイルドとジェームズ・ディーンを敬愛する内気な青年であったモリッシーMorrissey(1959― 、ボーカル。本名スティーブン・パトリック・モリッシーSteven Patrick Morrissey)は、1960年代ポップスに影響を受けながら自身の曲を書きためる毎日を送っていた。年下のギタリスト、ジョニー・マーJohnny Marr(1963― )と出会ったモリッシーはバンドを始めることを決意し、アンディ・ロークAndy Rourke(1964―2023、ベース)、マイク・ジョイスMike Joyce(1963― 、ドラムス)とともに1982年スミスを結成する。
グラジオラスを腰に差して踊るモリッシーの風変わりなライブ・パフォーマンスと、1960年代のギター・ロックを現代的によみがえらせたサウンドが話題をよび、スミスはインディー・レーベルのなかでは大手のラフ・トレードと契約する。1983年5月にデビュー・シングル「ハンド・イン・グローブ」がリリースされ、彼らの評判はイギリス国内に広まっていく。1984年の初めには、デビューから3枚目までのシングルが全英インディー・チャートのトップ3を独占するまでに人気が高まるなか、デビュー・アルバム『ザ・スミス』(1984)がリリースされ、彼らはパンク以降の新しいロックの旗手との評価を受けることになった。
同年セカンド・アルバム『ハットフル・オブ・ホロウ』をリリース、続いてリリースされたサード・アルバム『ミート・イズ・マーダー』(1985)では、表題曲で菜食主義を支持し政治的な姿勢もみせ始める。その後全英ライブ・ツアーも成功するが、このころからスミスは所属レーベルであるラフ・トレードとの金銭的な問題や、ロークのドラッグ問題などのトラブルにみまわれる。そんななかリリースされた4枚目のアルバム『ザ・クイーン・イズ・デッド』(1986)は彼らの最高傑作とされる優れた作品であった。表題のとおりの英国王室批判も含めた政治的な姿勢と、練度を増したバンド・サウンドは、サッチャー保守政権下のイギリスの若者から絶大な支持を集めることになる。
1986年9月、絶頂期にあったスミスはメジャー・レーベルであるEMIと契約を結ぶが、ラフ・トレードとの契約が残っていたため、翌1987年2月にシングル曲集『ザ・ワールド・ウォント・リッスン』をリリース、5月にはラフ・トレード最後のアルバムになる『ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム』を完成させた。しかし、モリッシーとマーの関係がもつれ、8月にマーは脱退を表明。メジャー移籍前に突然、バンドは空中分解してしまう。モリッシーも結局、9月に解散を正式に表明。同時に『ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム』は、スミスのラスト・アルバムとしてリリースされた。
解散後、マーは、トーキング・ヘッズやブライアン・フェリーBryan Ferry(1945― )、ザ・ザなど、多数のアーティストのレコーディングに参加した後、いくつかのグループを経て活動を続け、モリッシーもソロ歌手として活動している。
[増田 聡]
『ジョニー・ローガン著、丸山京子訳『モリッシー&マー――茨の同盟』(1993・シンコー・ミュージック)』▽『ジョニー・ローガン著、丸山京子訳『グレイト・ロック・シリーズ――ザ・スミス/モリッシー&マー全曲解説』(1997・バーン・コーポレーション)』