ゴール朝(読み)ゴールちょう

精選版 日本国語大辞典 「ゴール朝」の意味・読み・例文・類語

ゴール‐ちょう ‥テウ【ゴール朝】

(ゴールはGhor) 一二~一三世紀、アフガニスタン中部のゴール地方を中心に、インド北部を支配したトルコ系のイスラム王朝ガズナ朝を滅ぼして成立。一二一五年ホラズム‐シャー朝に滅ぼされた。グール朝

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デジタル大辞泉 「ゴール朝」の意味・読み・例文・類語

ゴール‐ちょう〔‐テウ〕【ゴール朝】

Ghōr》アフガニスタン中部のゴール地方を中心に、インド北部を支配したイスラム王朝。12世紀半ばにガズニー朝を滅ぼして成立。13世紀初め滅亡。グール朝。

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百科事典マイペディア 「ゴール朝」の意味・わかりやすい解説

ゴール朝【ゴールちょう】

アフガニスタンのイスラム王朝。王統は1000年ころから1215年まで存続。ガズナ朝の下でゴールGhorを根拠地にしたムイズッディーン・ムハンマドが出て版土を拡大した,12世紀半ばを成立期とする場合もある。ムハンマドはその後,インドまで進攻し,王位を継いでアフガン台地からベンガル地方まで支配し,イスラム系王朝の北インド支配の原因となった。ムハンマドの死後,王国は分裂し,インドは奴隷王朝の支配に帰した。
→関連項目アイバクシアールコートパキスタンバラナシヘラートホラズム南アジアラホール

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改訂新版 世界大百科事典 「ゴール朝」の意味・わかりやすい解説

ゴール朝 (ゴールちょう)
Ghor

アフガニスタン東部のゴールを中心とする王朝。1000?-1215年。グール朝ともいう。もとはガズナ朝支配下にあった一地方の支配者にすぎなかった(王統の始まりは1000年ころとする説が有力)。ガズナ朝衰退後の12世紀後半,事実上の独立を得て領土の拡大に乗り出した。とくに,ふつうゴールのムハンマドと呼ばれるムイズッディーン・ムハンマド(シハーブッディーン・ムハンマド)が出現すると,急激に勢力を拡張する。ムハンマドは,1175年に第1回目のインド遠征を行って以後しばしばインドへの侵入を繰り返した。その際には,インド北西部ムルターンにいた異端イスマーイール派を倒すとの大義名分を掲げていたが,直接の目的はガズナ朝同様,インドの富にあった。1191,92年の2度にわたる,パンジャーブのデリー近くのタラーインの戦で,プリトビーラージを中心とするラージプート連合軍を破って,北インドにムスリム支配の基礎を築いた。彼は,北インドにアイバクほか有力な部将を置き支配を固めようとしたが,1206年,ラホールからガズナに帰る途中で暗殺された。以降王朝は急激に衰退し,ホラズム・シャー朝に征服された。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゴール朝」の解説

ゴール朝(ゴールちょう)
Ghōr

1100?~1215

グール(Ghūr)朝ともいう。アフガニスタン中央部のゴール地方を中心としたイスラーム政権。11世紀前半からガズナ朝下で勢力を持ち始め,1148年自立。86年,ギヤース・アッディーンはガズナ朝を滅ぼし,アフガニスタンからイラン東部を支配下に入れるとともに,弟ムハンマド・ゴーリーをしてインド進出を繰り返させ,ラージプート軍を撃破して,ベンガルにまで進出した。1202年,ムハンマド・ゴーリーが即位すると,ホラズム・シャー朝に押されてイラン東部を失ったが,インド方面での勢力を確立し,その後のイスラーム諸王朝の北インド支配の基となった。06年の彼の暗殺によって王朝は分裂状態になり,北インドには奴隷王朝が成立した。15年,最終的に滅亡した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴール朝」の意味・わかりやすい解説

ゴール朝
ゴールちょう
Ghūrids; Ghūriyān; Āl-i Shansab

アフガニスタンを支配したアフガン系ゴール族の王朝 (12世紀後期~13世紀前期) 。ガズニー朝に服属していたゴールのアラー・ウッディーン・ムハンマドは,1152年ガズニーを略奪し,ゴール朝の基礎を築いた。その後ギヤース・ウッディーン・ムハンマド (在位 1162~1202) とムイズ・ウッディーン (在位 02~06) の時代に,ガズニー朝を滅ぼし現在のアフガニスタンのほとんど全域,シンド,パンジャブ,ワーラーナシ,その他のインドの都市や地方を版図に入れた。中心はゴール地方で,首都はフィールズクーフとガズニー。 1215年ホラズム・シャー朝に両都を占領されて滅亡。同朝の北インド支配は,インドへのイスラム浸透に大きく貢献した。インドにおける最初のイスラム政権,いわゆる奴隷王朝は,ゴール朝に仕えていたトルコ人奴隷出身者によって樹立されたもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴール朝」の意味・わかりやすい解説

ゴール朝
ごーるちょう
Ghōr
Ghūr

12世紀中葉から13世紀前半までアフガニスタン地方に続いたトルコ系の王朝。グール朝ともいう。12世紀後半から13世紀初頭にかけて、ギヤースッディーン・ムハンマドとシハーブッディーン・ムハンマドの治世に、ガズナ朝にかわってその権力を確立した。とくに後者は「ゴールのムハンマド」として歴史上有名であり、聖戦(ジハード)を称して北インドに侵入軍を送り、1192年にはクトゥブッディーン・アイバク指揮下のゴール軍がヒンドゥー王のプリトゥビラージを破ってのちは、そのインド侵入軍の一隊は遠くベンガル地方にまで進撃している。しかし、彼自身はインドの支配者となることなく、支配層の内紛のため1206年にゴールで暗殺され、西北インドの征服地はアイバクの権力のもとに置かれた。ゴール朝はアフガン台地のトルコ系王権であるが、インドにイスラム教徒たるトルコ人の支配を確立させる道を整える役割を果たした点で重要である。

[荒 松雄]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ゴール朝」の解説

ゴール朝
ゴールちょう
Ghor

アフガニスタンのゴールを本拠として,12世紀半ばから13世紀初めまで続いたイスラーム王朝。イラン系とされる
初めガズナ朝の支配下にあったが,1186年にこれを倒した。創始者の弟ムハンマド=ゴーリーの軍は,1191年北西インドや93年デリーを占領し,一時はベンガル地方に達し,北インドにおけるイスラーム支配の基礎を固めた。彼の死後,王朝は分裂し,ホラズム朝に滅ぼされた。

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世界大百科事典(旧版)内のゴール朝の言及

【インド】より


[イスラム教徒のインド支配]
 8世紀初めにウマイヤ朝のアラブ軍がインダス川下流域を征服したが,この後の3世紀間,イスラム教徒はそれ以上亜大陸内部に進出することはなかった。彼らの組織的なインド侵略が始まるのは,アフガニスタンにガズナ朝とゴール朝が相次いで興ってからである。トルコ系の両王朝は11世紀初頭から侵入・略奪を繰り返し,分立抗争していたヒンドゥー教徒の諸国を破って,しだいにインド支配の足場を固めた。…

※「ゴール朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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