ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クリントン」の意味・わかりやすい解説
クリントン
Clinton, Hillary
アメリカ合衆国の政治家,弁護士。フルネーム Hillary Rodham Clinton。繊維業を営む裕福な家庭の第1子として生まれた。当初は両親同様に共和党を支持し,高校生時代から政治活動に携わった。1965年ウェルズリー大学に入学,マルカムX,ロバート・F.ケネディ,マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺事件を契機にリベラル派に転じ,民主党に参加する。1968年の大統領選挙で,ベトナム戦争反対を訴える民主党のユージーン・J.マッカーシー陣営のボランティアとして活動した。1969年ウェルズリー大学を,1973年エール大学ロースクールを卒業。当初,家族法と子供の権利を専門とした。1975年にエール大学時代の級友,ビル・クリントンと結婚。法律雑誌『ナショナル・ロー・ジャーナル』が選ぶ「全米で最も影響力をもつ弁護士 100人」に 2度選出された。1993年に夫が大統領に就任すると,ファーストレディーとして前例がないほど大きな影響力をもった。医療保険改革問題特別専門委員会の委員長として,アメリカ初の健康保険制度導入を提案したが失敗。2000年ニューヨーク州上院議員選挙で,ファーストレディーとして初めて国政選挙に立候補して当選し,2006年再選された。2008年に民主党大統領候補指名獲得を目指したが,接戦の末バラク・オバマに敗れた。2009~13年オバマ政権の国務長官。2015年再び大統領選挙への立候補を表明。民主社会主義者を称するバーニー・サンダースなどを予備選挙で制し,2016年7月に民主党大統領候補者に指名された。しかし国務長官時代に機密情報の連絡に私用メールを使った問題が連邦捜査局 FBIの捜査を受けたことなども影響し,同 2016年11月の大統領選挙で共和党の候補者ドナルド・トランプに敗北した。
クリントン
Clinton, Sir Henry
[没]1795.12.23. ジブラルタル
イギリスの陸軍軍人。アメリカ独立戦争におけるイギリス軍総司令官。 1751年軍隊に入り,七年戦争に参加。 72年将官に昇進。 75年アメリカに派遣され,W.ハウ将軍のもとでバンカーヒル,ロングアイランド作戦に従い勇名をとどろかせた。 78年ハウのあとをうけてアメリカ派遣軍の総司令官に就任。 80年カロライナ作戦を指揮,チャールストンを攻略して,植民地軍に痛打を与えたが,81年 10月ヨークタウンで副司令官 C.コーンウォリスがアメリカ=フランス連合軍に降伏したので,結果的には敗軍の将となった。それより早く同年5月司令官を辞しイギリスに帰国。 83年『1781年の戦況』 Narrative of the Campaign of 1781 in North Americaと題する手記を発表。コーンウォリスの激しい反論を買った。 94年ジブラルタルの総督に任命されたが,その後現地で死亡。同名の息子も陸軍軍人としてフランス革命戦争,ナポレオン戦争に参加した。
クリントン
Clinton, William Jefferson
アメリカの政治家。第 42代大統領 (1993~2001) 。 1968年ジョージタウン大学卒業後,ローズ奨学生として2年間オックスフォード大学に留学,エール大学ロースクールで法学博士,弁護士資格を取得。 77年からアーカンソー州検事総長,78年全米最年少 (32歳) で同州知事に当選,2期目に落選したが 83年に返り咲き,5期つとめた。 92年の大統領選挙では民主党候補のなかでも当初不利とされていたが,組織的キャンペーンを背景に予備選挙を勝ち抜き,本選挙でも若さと変革を強調して共和党現職のブッシュ大統領に圧勝,12年ぶりに民主党政権を誕生させた。就任後は,国内では財政赤字の削減,健康保険制度の改革,外交面ではロシア支援,国際紛争の解決・防止などを政策の中心課題とした。 96年の大統領選挙で共和党の R.ドール候補を敗り,97年から2期目の大統領をつとめた。
クリントン
Clinton, De Witt
[没]1828.2.11. ニューヨーク,オールバニ
アメリカの政治家。ニューヨーク市と五大湖地方を結ぶエリー運河の建設の主唱者。ニューヨーク州上院議員 (1798~1802,06~11) ,連邦上院議員 (02~03) ,ニューヨーク市長 (03~07,10,11,13,14~15) を歴任。エリー運河建設を長年にわたって主張し,1811年ニューヨーク州上院に調査委員会設置を提案し委員に選ばれ,連邦の援助を求めたが不成功。 16年には州の財政支出を引出すことに成功し,17年以後ニューヨーク州知事 (17~23,25~28) となり建設事業を終始指導し,25年エリー運河開通式にはバッファローからオールバニまで別名「クリントン水路」を旅行した。また無料の公教育を推進したことでも有名。
クリントン
Clinton
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