クライフ(読み)くらいふ(英語表記)Johan Cruyff

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クライフ」の意味・わかりやすい解説

クライフ
くらいふ
Johan Cruyff
(1947―2016)

オランダのプロサッカー選手。ヨハン・クライフとよばれる。本名ヘンドリク・ヨハネス・クライフ。4月25日、オランダのヘームステーデに生まれる。ペレベッケンバウアー、マラドーナらとともに20世紀を代表する選手の一人。アヤックス(オランダ)のボールボーイをしていたクライフは、やがてこのクラブをヨーロッパチャンピオンに導く。1971、1972、1973年とヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ(現、UEFAチャンピオンズ・リーグ)優勝。センターフォワードでありながら、中盤ウイングもこなす変幻自在なポジショニング、卓越したボールコントロール、驚異的な加速力をもち、明晰(めいせき)な頭脳と統率力で「トータルフットボール」とよばれた、当時としては革命的な戦術の先頭に立った。1974年ワールドカップ・西ドイツ大会でもクライフのプレーはさえたが、決勝で地元の西ドイツに敗れた。しかしこの年、三度目のヨーロッパ最優秀選手賞(バロンドール)を受賞(1971、1973、1974年)した。現役引退後、アヤックスとFCバルセロナスペイン)の監督としても、攻撃的なサッカースタイルをとり続けた。バルセロナではスペインリーグ4連覇、ヨーロッパ・チャンピオンズ・カップ優勝の栄光をもたらした。

[西部謙司]

『ミゲルアンヘル・サントス著、松岡義行訳『ヨハン・クライフ』(2000・中央公論新社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クライフ」の意味・わかりやすい解説

クライフ
Cruyff, Johan

[生]1947.4.25. オランダ,アムステルダム
[没]2016.3.24. スペイン,バルセロナ
オランダのサッカー選手,監督。フルネーム Hendrik Johannes Cruijff。自身の名を冠したドリブルの技「クライフ・ターン」などを駆使した独創的な試合戦術で知られた。各選手が攻守両面で多彩な創造性を発揮するオランダ代表の戦術「トータルフットボール」がヨーロッパのサッカー界を席捲した時代,世界最高の選手の一人に数えられた。10歳のときにアヤックス・アムステルダムのユース部門に入団し,17歳で試合に初出場した。1973年にスペインの FCバルセロナに移籍主将として,スペインリーグでの優勝 1回(1974)と準優勝 2回(1976,1977)へチームを導いた。オランダ代表の選手としては 19歳でデビュー。1974年の FIFAワールドカップ・ドイツ連邦共和国大会でオランダ代表は準優勝し,クライフは大会最優秀選手 MVPに輝いた。1984年に現役を引退。1987年にアヤックスの,1989年にバルセロナの監督として,それぞれにヨーロピアン・カップ・ウィナーズ・カップ優勝をもたらした。1999年にスポーツマネジメントやスポーツマーケティングを研究,教育するヨハン・クライフ研究所を創設。

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