ウィンパー(読み)うぃんぱー(英語表記)Edward Whymper

デジタル大辞泉 「ウィンパー」の意味・読み・例文・類語

ウィンパー(Edward Whymper)

[1840~1911]英国登山家・挿絵画家。1865年にアルプスマッターホルンの初登頂に成功。耐風性に優れたウィンパーテントを考案。著「アルプス登攀記とうはんき」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィンパー」の意味・わかりやすい解説

ウィンパー
うぃんぱー
Edward Whymper
(1840―1911)

アルプス登山の黄金時代に活躍したイギリスの登山家。ロンドンに生まれ、挿絵画家となる。1860年仕事でアルプスに行き、山の美しさに魅せられ登山を始めた。グランド・ジョラスやエギュイーユ・ベルトなどの初登頂を行う。1865年8回の試登後、難攻不落を誇ったマッターホルンに初登頂したが、帰途ザイルの切断で7名中4名が転落死した。リーダーのウィンパーは世間の指弾と、無罪になったが裁判にも耐えねばならなかった。

 1867年と1872年グリーンランド遠征。1880年アンデスのチンボラソ初登頂。1901年カナディアン・ロッキー遠征、その数峰に初登頂した。ロッキーにはその後も1903、1904、1910年に遠征した。1861年アルパイン・クラブに入会、1872~1874年同副会長。1911年フランスのシャモニーで客死。著書に『アルプス登攀記(とうはんき)』(1871)、『赤道帯アンデスの旅』(1981~1982)など。ウィンパー・テントの考案者でもある。

[徳久球雄]

『浦松佐美太郎訳『アルプス登攀記』(岩波文庫)』


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改訂新版 世界大百科事典 「ウィンパー」の意味・わかりやすい解説

ウィンパー
Edward Whymper
生没年:1840-1911

イギリスの版画家,アルプス登山の黄金時代に活躍した登山家。ロンドンに生まれ,1860年ごろ挿絵の仕事で訪れたアルプスの美しさに魅せられて登山を始める。グランド・ジョラス,エギュイユ・ベルトなどの初登頂を行ったが,ピラミッド形山容をもつマッターホルンの初登頂に熱意を燃やし,7回の試登後,イタリアのJ.A.カレルらと競って65年初登頂に成功。しかし下山途中,7名のパーティのうち4名が墜落死する事故が発生。この悲劇は登山の危険をめぐって問題となり,ウィンパーは裁判にかけられたが無罪となった。その後は,67年,72年グリーンランド探検,80年アンデスのチンボラソ初登頂など,アンデスやロッキーで活躍した。1911年シャモニーで客死。著書には名著《アルプス登攀記》(1871)のほか,《赤道アンデスの旅》(1892)がある。〈ウィンパー型テント〉は彼の創案である。
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百科事典マイペディア 「ウィンパー」の意味・わかりやすい解説

ウィンパー

英国の登山家。1865年7月14日マッターホルン初登頂に成功。しかし,下山に際し一行7名のうち4名が遭難死。このときの体験をもとに書いた《アルプス登攀(とうはん)記》(1871年)は山岳書の古典。もともと木版画家であったが,英国山岳会機関誌のための版画を依頼され,その下絵をスケッチするために踏み込んだアルプス地方が彼の運命を変えてしまった。以後,版画家,地理学者,登山家という三つの肩書で活躍。グリーンランド,カナディアン・ロッキー,アンデス等も踏査。
→関連項目アルピニズム

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィンパー」の意味・わかりやすい解説

ウィンパー
Whymper, Edward

[生]1840.4.27. ロンドン
[没]1911.9.16. シャモニー
イギリスの登山家。木版画家,挿絵画家としても知られ,とりわけ山岳の描写に深い関心をもった。 1861年から数多くのアルプス諸峰登攀を行ない業績をあげたが,なかでも 1865年のマッターホルン (4478m) 初登頂は有名。彼がみずから挿絵を描いた『アルプス登攀記』 Scrambles Amongst the Alps (1871) は古典的名著で,今日まで世界中の読者に親しまれている。また,世界各地の探検,特にグリーンランドの探検や,エクアドルのアンデスおよびカナディアンロッキー踏破なども行なった。

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世界大百科事典(旧版)内のウィンパーの言及

【アルプス[山脈]】より

マッターホルンである。だが1865年7月14日,初登頂の栄誉は7回も試登をくりかえしてきたイギリスのE.ウィンパーの頭上に輝いた。マッターホルンの初登頂によって,アルプスの4000m級の山々の初登頂を目標にしていた登山史上の黄金時代は一応終りを告げたが,これによって初登頂すべき山がなくなってしまったわけではない。…

【アンデス[山脈]】より

…当時はヒマラヤの高峰が知られていなかったので,この隊はエクアドルのチンボラソ山を世界最高峰と結論し,ヒマラヤや南アンデスの正確な高度が知られるまで,しばらくはこれが世界の通説となっていた。そのため,この山の登山が多く試みられ,ドイツの地理学者A.フンボルトやフランスの農芸化学者ブザンゴーなども登頂を試みたが果たさず,1880年イギリスの登山家E.ウィンパーが初登頂した。アンデスの最高峰アコンカグア山は,83年ドイツのギュスフェルト隊が挑んだが,97年イギリスのE.A.フィッツジェラルド隊のS.バインズとM.ツルブリッゲンによって初登頂された。…

【エギュイユ・ベルト[峰]】より

…標高4122m。1865年E.ウィンパーらによって初登頂された。シャモニーの上流8kmのアルジャンティエール(標高1252m)からロープウェーで,エギュイユ・デ・グランモンテ(標高3297m)までいけば,眼前にすることができる。…

【グランド・ジョラス[山]】より

…ヨーロッパ・アルプスのモン・ブラン山群にある名峰。フランスとイタリアの国境に約1kmの長さでのびている頂稜には,東峰(最高点,ウォーカー・ピーク,4205m),西峰(ウィンパー・ピーク,4184m),クロ・ピーク(4110m),エレーヌ・ピーク(4040m),マルグリット・ピーク(4066m),ヤング・ピーク(3996m)の六つのピークが連なっている。1865年にE.ウィンパーの一行によって西峰が初登頂されたのち,最高点の東峰は68年にH.ウォーカーの一行によって初登頂された。…

【チンボラソ[山]】より

…1802年A.フンボルトによって科学的調査と登山が試みられた。80年にはイギリスのE.ウィンパーが山頂に達している。エクアドルの首都キトからも遠望でき,同国の象徴的存在となっている。…

※「ウィンパー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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