日本大百科全書(ニッポニカ) の解説 インノケンティウス(4世)いんのけんてぃうすInnocentius Ⅳ(?―1254) 中世後期のローマ教皇(在位1243~54)。本名シニバルド・フィエスキ。ボローニャ大学で法学を修め、同大学の教授を経て教皇座に登位。教会法の注釈を著し、教会法学隆盛時代の一翼を担った。神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世と争い、フランス王ルイ9世の支持を受けて1245年リヨンに公会議を招集し、皇帝に対し破門および帝位剥奪(はくだつ)の宣告を下した。東洋への関心も強く、フランシスコ会修道士プラノ・カルピニを使節としてモンゴル帝国に派遣した。[梅津尚志] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例