龍雲寺跡(読み)りよううんじあと

日本歴史地名大系 「龍雲寺跡」の解説

龍雲寺跡
りよううんじあと

[現在地名]東市来町長里

麓上にあり、法城山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。江戸時代には鹿児島福昌寺末寺。島津立久が寛正三年(一四六二)に市来城を攻略し、その後当寺を創建した。開山は心巌。同年一一月一九日、立久は当寺の門前境ならびに寺領を定め、境は東を下藪村、西を鍋山なべやま、南を牟田むたの首・藤尾ふじのお亀山の尾・陳の尾の下の縁目、北は黒岩くろいわ之堺の堀とした。また寺領は下藪八反・馬場之下七反・塩屋一(江口)とし、万雑公事・臨時の課役も免除した(「島津立久寄進状」旧記雑録)

龍雲寺跡
りようおんじあと

[現在地名]高鍋町上江 松本

松本まつもと集落の西の水田地帯に位置する。南端に一〇基ほどの墓石があり、その南東の県営住宅付近が寺跡と伝えられる。瑞松山と号し、曹洞宗であった。本尊は釈迦文仏。慶長年中(一五九六―一六一五)初代高鍋藩主秋月種長の建立。開山は高源照屋。江戸時代には寺領一〇〇石を所持した(寛永一五年高鍋藩人給帳)廃仏毀釈の際、放火されて焼失し、明治四年(一八七一)廃寺となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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