黒萩村(読み)くろはぎむら

日本歴史地名大系 「黒萩村」の解説

黒萩村
くろはぎむら

[現在地名]美星町明治めいじ

宇戸谷うとだに村の西にあり、南は三山みやま村。寛永備中国絵図に村名がみえ、高八六石余で松山藩領。正保郷帳では幕府領で、枝村に竹丸村が載る。延宝五年(一六七七)検地帳(田辺文書)によれば、古検の田畑屋敷反別は一四町余。田方四一町二反余・分米二六二石余、畑屋敷一五町八反余・分米六九石余。高九二石余、高三五石余の大高持百姓(各一人)がいるのが注目される。草山は一二三町余で、うち清水山・馬場谷山は三山村との入会。茶一千五六九株・楮二二八株・漆一八本があった。「成羽史話」などによれば元禄六年(一六九三)旗本の布賀水谷領となり、幕末に至った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android