鹿野田郷(読み)かのだごう

日本歴史地名大系 「鹿野田郷」の解説

鹿野田郷
かのだごう

現在の西都市鹿野田を遺称地とし、郷域は同所を含む一帯に比定される。建久図田帳には「鹿野田郷五十丁」とみえ、児湯こゆ郡内で八条院領国富くどみ庄の寄郡一二〇町のうち、地頭は日向最大の在地系領主土持宣綱であった。日下部姓法元系図(法元加夫家文書)・日下部姓金丸系図(金丸登家文書)・日下部姓湯浅系図(湯浅正敏家文書)などによれば、平安末から鎌倉初頭に日向国在国司職にあった日下部盛平には実子がなく、その職を土持栄妙(宣綱)に譲った。しかし盛平の弟盛俊は国富庄那賀(那珂)郡司・穂北郡司を保持し(その子孫は那賀氏を称する)、盛俊の子右盛は「鹿那田郷」郡司職を所持したと記されている。このことからみると、当郷は本来、日向国衙で在庁を勤める日下部一族の所領であったとも思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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